【★5】映画「Hot fuzz」は日本人のギャグセンスにピッタリの気楽なコメディ【感想】

2017/04/13

★5 映画ドラマ批評



寸評
イギリス的「はずしの笑い」が随所に配置された秀作コメディ。 Mr. ビーンがドリフで、これは Trick みたいな質の違い。といってもギャグは Trick よりも上質。「はいココで笑ってくださいね!(チラッチラッ」とこちらを伺ってくる Trick を見て鼻で笑っちゃう感じではなくて、ちゃんと情景が面白い。イギリスの笑いは日本に馴染むねぇ。

ほし
★★★★★ (5/5)

今回はコメディ映画ということで、いつにも増してネタバレ感あります。


主人公は警官。それもウルトラ有能。
大学は2つの学科で首席卒業。警察学校では成績トップ。ロンドンの首都警察に配属されると検挙率は平均の 400% 。特殊部隊訓練も優秀な成績を収め、警察内のスポーツ大会・チェス大会などにも積極的に参加し、どれでも優秀な成績。
まさに超有能警察官な主人公。
ある日、上司に呼ばれて「君のような優秀な警官は、もう少し上の立場かで力を発揮してほしい」との言葉。
やったね昇進だね。

「巡査から巡査部長に昇進だ。配属は(ド田舎の)サンフォード郡」
えっ、なんでそんなド田舎に飛ばされなきゃいけないの? って主人公も聞くんだけども。
巡査部長じゃ話にならないから、もっと上に直接訴えてやる! からの警部補「サンフォードで頑張ってくれ」。
そんなバカな! さらに上に直接訴えてやる! からの警部「はっきり言うと君が有能すぎて目障りなんだ。君がいると、我々が間抜けに見える」。
<失意とともに素直にサンフォードへ行く主人公>
映画の冒頭から、そんな感じ。
全編通して「んなワケあるかよ!」とツッコミ入れたくなる要素で構成される。Mr. ビーン的な、ただひたすらくだらねぇのをラッシュしてくる感じとは大きく異なる。シチュエーション、ナンセンスな会話、その「普通だったらこうだろうな」と想像される部分から、すこーしだけ「はずし」てくる。
そのはずし具合も絶妙で、観てる方が「は?なにそれ、おもんな」と白けてしまわない程度のジョークに収めている。

突然話はそれるが、最近のイギリスドラマ映像はつとに美しい。フィルム映画のような、いやそれ以上の美しさ。なんでなのかは知らない。ピント合わせとボケの妙味が素晴らしい。
有名どころでは「シャーロック」、私の大好きな「ホワイトチャペル」、それ以外にも「ルーサー」や名前思い出せないけどやたらと逃げ回るサスペンスのやつなど、枚挙にいとまがない。
本作もそれに違わず映像の美しさはイギリスドラマ的。
イギリスは間の取り方もいい。「サンフォードはすっごく遠い」というのを説明せずに演出する部分はテンポよく、それでいて「いくらなんでも遠すぎ」と思うぐらいに過剰にやってジョークのひとつとしている。
そしてイギリスドラマは、役者がいい。本作でも、やっぱり役者がいい。
良い画像演出、良い役者を揃えて、でもそれでコメディをやるというアンマッチさが素晴らしい。
もはやこの作品の存在自体がナンセンス・ジョークといってもいい。コンセプトにぴったりマッチするジョークだ。
やってることはコメディだけど。


さて、その「言ってる事とやってる事の落差が激しい」作品であるところの本作の話に戻る。
この映画の大きな一本のストーリーは、簡単に言うと以下だ。
  • 平和だと思われていたサンフォードは、実は犯罪を起訴せず表面上平和に見せているだけだった
  • 主人公はそれに抗い、犯罪を見逃すようなことはしない
  • どうも殺人ではないかと思われる事件も、事故として処理しようとする警察
  • 殺人に違いない、この犯罪を暴こうと証拠集めに奔走する主人公
  • しかしその殺人は、実は村のトップ達が結託して行っていた
  • 主人公が目障りな村のトップ達は、主人公を消そうとする。果たして主人公はどうなるのか……!
うーむ、実に恐々とする薄気味悪いシリアスなストーリー。演技もいいから、ついついこの世界に引き込まれていく。
途中までは犯人も分からないので「一体この殺人を起こしているのはどんなヤツなんだ……」とか真面目に考えてしまう。
すっかり頭の中に「※この映画はコメディです」というのが存在しなくなってしまう勢いで、とても素晴らしい映像なのである。

逆に言ったら、このストーリーでは陳腐すぎて今時こんな筋書の(真面目な)映画があったら、見終わった時に何も心に残らないだろう。
この映画のコメディとしての根源は、まさにこの「陳腐なストーリー」にある。視聴者側が「あー、こういうストーリーなら、きっと次はこういう感じになるんだろう」と、うっすらと想像できてしまうという点。そこが逆に「はずし」たときに面白くなりうる素地なのだと思う。


ある日「迷子になった白鳥を探してくれ」と警察に電話してくるトンチキがいるんだけど、結局その白鳥の捜索させられるハメになる。
まぁ捕まえられないんだけどさ。


<あぁ迷子の白鳥捕まえなきゃ~>
別の日、現認した万引き犯を走って追いかける。追跡中に、道端にあの白鳥が! 今犯人を追跡中だけど、白鳥を捕まえるチャンスでもある……。両方は不可能で、どちらか一方を選択するしかない! どっちを選択すr…犯人を追跡するに決まってる。
悩むことなく白鳥の前を駆け抜けていくんだけど、主人公が白鳥を見つけた瞬間だけ少しギョッとするんだよね。「あの白鳥じゃん!」みたいな。
パロディにも通じる、細かい「はずし」が心地いい。それに必要以上に白鳥を説明しない。そこがまたいい。上品。
日本漫才的な演出もね、別にいいんだけどさ。コメディなんて下品に貪欲に笑わせたっていいんだけど。ナンセンスギャグは、過剰に説明しちゃいけないみたいな風潮、あると思います。
堤幸彦だったら、絶対あの白鳥のシーンでセリフ入れてくると思うんだよなぁ。たぶん以下のような流れで……

  1. 緊迫感のある BGM で犯人追跡
  2. 白鳥発見して BGM 止めて無音
  3. 「あ、白雪姫」みたいなセリフ言わせる(もちろん堤幸彦なら、白鳥探索を依頼する人との会話も演出に組み入れ、そこで「白鳥の名前は白雪姫です」みたいな過剰な被せをしてくるに違いなく、ここでそのペットの名前を言わせるだろう、という僕の長い推測。ちなみに本作では依頼者との会話はセリフほぼ無し、当然ペットの名前も分からない)
  4. 犯人追跡続行、 BGM 再びかける

ん、随分カッコの中身が長くて堤幸彦 dis っぽい長文書いてるように見えるけれども。
違うよ。僕は堤幸彦好きだよ。ケイゾクなんて何回通しで観たか分からないぐらい観たよ。ただ 2 時間物は作る力がないというだけの話。人には長所短所があるわけです。堤幸彦に 2 時間ものを作らせると、間が持たないから一つ一つのギャグに時間を多く割り当てることになって、結果的に演出が冗長になって、最終的に面白くないという、ただそれだけの話。決して堤幸彦が嫌いなわけじゃありません。
あれ、おかしいな。カッコの中身より 3 倍ほど長い釈明を書いたはずなのに、結局 dis ってるように見える。おかしい。

まぁ 1 時間ギャグドラマだけ作ってればいい人の話は置いといて(結局 dis なのでは)。


真面目(っぽく見える)ベースストーリーと美麗な映像を組み合わせた上で繰り広げられる、上品な「はずし」のギャグ。これが実に心地いい。
さらにこの監督は、やたらと小技が好きなように見える。「不必要な伏線を、不必要に回収」というのが散見された。もちろん意味ある王道的伏線もあって、それはそれでちゃんと楽しめたんだけども。
  • 相棒がケチャップの袋をイタズラ用に持っている
    ⇒主人公のピンチに、相棒が忍ばせたケチャップで主人公が死んだと思わせて脱出
  • 大量の銃器押収
    ⇒主人公の反攻で、その銃器を利用
  • 不発弾
    ⇒最後無駄に警察署爆発させる
  • 不必要なまでに厚着の老人
    ⇒本当にコートの下に銃器を仕込んでた
  • 「複数の児童での入店禁止」の張り紙
    ⇒主人公の反攻時、児童をけしかけてその店を襲わせる
  • 迷子の白鳥
    ⇒妨害用アイテムとしてストーリーにチラホラ登場。伏線とは言えないかもしれないが、そこに妨害用の白鳥がいてもいい言い訳として使っている
  • 署内のアイス一か月分購入
    ⇒犯人が捕まる時に「アイスが食べたい」と言わせる。もはや伏線というか無理やりアイス登場させるために犯人に言わせただけだが

<その伏線、引く意味と回収する意味はあるんだろうか……>


まぁ必要なものから不必要なものまで、伏線を回収するのが大好きな様子。
いくつかの伏線はそのままクスっと笑えるものでもあって、ギャグとして有効だと思う。児童をけしかけるのはニヤっとしたし、厚着の老人がダウンコートの下からクソデカショットガン出した時は「やっぱり持ってんのかーい!」ってゲラゲラ笑ってしまった。

まぁそもそも主人公が「 BAD BOYS 2 の DVD ジャケットを見かけた」っていうクソアホな理由で反攻を決意するうえに、武装を固めた姿なんてハリウッドのパロディにしたってひどすぎるクソダサな恰好。

<クソダサ主人公>

そのアホダサ状態の主人公が攻め込むっていう状況がそもそも面白いのに、ヨボヨボのおじいちゃんがダウンコートをバサッと翻してドカンドカン発砲するとかいうギャップに脳幹神経がシビれてしまう。
そういった「状況がそもそもおかしい」に加えて「その伏線、回収する必要あった?」という小技を絡めてくるわけである。この監督は知的なバカだろう。きっと。
「このファシストめー!」とか「フルーツ攻撃だ!」とか「刃物攻撃が続いていて突破できない!」とか、もうくだらねぇのに何だかマジメにやってる風に見えて落差が心に染みわたる。
<ファシストめー!>
素直に面白い。


日本的コメディのような「オチを強く印象付ける」というシーンは少なく(重ねて言うが、それが悪いとは言ってない。それはそれで面白い)、イギリス的なニヒルなリアクションがあるだけ。ただしネタ振り自体は日本と同じような、いかに「はずす」か。面白い部分については日本と大きく価値観が異なるわけではないので、普段着の心境で観ていても大変面白い。

ただこの「イギリス的」の部分を手放しで褒めているわけではなくて、このついついニヤけてしまうような笑いは「その場で誰かと共有したい」と思ってしまいがち。簡単に言えば、劇場で友達数人で観に行ってゲラゲラ笑うのに適しているように思う。欧米では今でも「コメディアン」といったら「ショーコメディアン」のイメージが強いのだろうか? 面白いジョークを言うだけではなくて、客同士が笑いを共有しあって相乗的に楽しい空間となる、そういった「コメディ」に対する価値観の違いがあるのじゃないかなと思えた。
映画を作る側が想定しているのは「劇場で多数の客が笑っている」という状況な気がする。
その点、日本的なコメディのノリならば一人で観ても心置きなく笑えるように作っているように思う。笑いどころは「制作者」や「登場人物」と共有できるような作りになっているのではなかろうか。だから強く「ここがオチですよ、笑ってくださいね」という部分を、分かりやすくプッシュするのかもしれない。
私は個人的には、映画であまりにに強くそれをされると興ざめするのでイヤなのだけど。
なので、あくまで個人の主観ではイギリス的な方が趣味に合っていた。

一人で週末の暇つぶしに観る、というのはもしかしたら趣味に合わない人がいるかもしれない。
でも私的にはものすんごく趣味にあっていたので、ぜひとも観てもらいたい一作なのである。合う人にはメチャクチャ合うと思うので、ぜひどうぞ。

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