【★5】映画「帰ってきたヒトラー」で民主主義の大事さに気づくべき【感想】

2020/02/24

★5 映画ドラマ批評



ほし ★★★★★(5/5)
寸評 基本的にはシチュエーションコメディ。「現代にヒトラーがタイムスリップしてきたら?」というくだらない設定で、まずヒトラーはコメディアンとして成功する。
いつしか彼の政治ネタジョーク(いや、本人は至ってマジメに話しているつもりなのだが)は、しかしドイツの抱える問題の本質をえぐり出しているとして評判になり、ヒトラーの政界再進出は現実味を帯びてくる……というストーリー。
くだらなさに笑っていたはずが、最終的には人間の根源的愚かしさに頭を抱えてしまう中々に興味深い展開だった。

あらすじ


ヒトラーは突然に

ヒトラーが1944年から2010年代にタイムスリップする所から話は始まる。
なぜタイムスリップしたか?そんな事はどうでもいい。ヒトラーはタイムスリップして来た。

たまたまテレビに出演

町中に突然現れた軍服のヒトラー。
周りから頭のイカれた人だと思われていたけど、たまたまテレビ局の人間の目に止まり「モノマネタレント」としてテレビに出る事に。
ドイツのテレビでヒトラーネタ? 大丈夫なの? なんていう周囲の心配をもとに、番組は大ウケ。
「いかにもヒトラーが言いそうな言い回し」にみんな爆笑。そりゃそうだ、本人なんだから。
結果、ヒトラーはレギュラー出演することになる。

ヒトラーはヒトラーのまま

ヒトラーの性格はタイムスリップ前と後で大差ない。
総統は総統のまま。
例えば移民問題、例えばCO2排出量問題、例えば少子化問題、これら現代ドイツの抱える問題に対してヒトラーはテレビを通じて「演説」する。
テレビ局や視聴者は「モノマネネタ」と捉えているが、ヒトラー本人はマジメに演説してる。

そのギャップに映画を見ているこっちも笑ってしまう。
「何も知らずに笑って見てるけど、ソイツは本物のヒトラーだぞ」
っていうギャップね。

やがて彼の演説が支持されはじめる

ヒトラーっぽい言い回し、言葉選び。視聴者は最初はネタに笑っている。
しかし SNS で「芸人ヒトラーの演説は、ドイツの問題を真に捉えている」と絶賛を浴び、ヒトラーの演説は翻訳されて Youtube にアップロードされ、ひたすら拡散していく。

内容は確かに文句なく現代ドイツの抱える問題をえぐり出している。
何より演説がドイツ国民を鼓舞するような、あるいは叱咤するような内容で、聞いている方は思わず乗せられてしまう。

結果的に多くの人がヒトラーのリーダーシップに惹かれて、様々な政党から「立候補しないか?」と誘いを受けるに至る。
ヒトラー政界再進出に、もう障害はなにも無い。

この映画が語りたい軸となるテーマは何か?

私、この映画のこと何も知らなかったんですわ。たまたま Netflix でオススメに出てきたから観てみたってカンジ。
シチュエーションコメディとして、すごいくだらない作品だろうと思って観始めたのね。実際最初はクッソくだらない事をやってて笑ってたんだけどさ。

でもこの映画、ヒトラーが現代にタイムスリップしたというくだらない設定を使っているけれど、でも語りたい「テーマ」が厳然と存在していたんだよね。
それが「人は、見たいと思うものだけを見るし、聞きたいと思うものだけを聞く」という人間論的なモノ。コメディと思って観始めた俺にとってもビックリだったんだけど。

少しでも興味がわいた人は、今すぐこれを読むのをやめて「帰ってきたヒトラー」を観てほしい。そんで心の中にモヤモヤとした感情がわだかまりのようになったら、もう一度このページに帰ってきて続きを読んで欲しい。


1930年代のドイツも今も、根源的には変わらない

1930年代のドイツは、現代ほどでないにしろ様々な問題を抱えていたじゃん。第一次大戦の敗戦の影響が大きいんだけど。
現代ドイツもたくさん問題を抱えていて、それに対して抜本的な対処を政治がやれないと(必ず政治で解決できる問題ばかりかどうかはさて置いて)。
そんな時「こういう対処を行って、抜本的な対処をしなければならない!」とブチあげる奴が出てくるわけ。そして民衆はそれにホイホイ乗っていっちゃうの。

まさに 1930 年代のドイツはそれだった。
この映画では「現代でも同じことがおきる」と強烈に示唆しているんだよね。

映画の中でも何度か語られるんだけどさ、ヒトラーが「民衆が私を選んだ」って言うわけ。
1930 年代ドイツではヒトラーおよびナチ党が熱狂的な支持者に囲まれて選挙で躍進、民主的な手法で政権を取ったんだからそう言う権利があるよね。
つまり現代ドイツでもまったく同じようにヒトラーが選挙に出たら、民主的な手法で再度政権を取ることができてしまうんではないかと、そういう怖さを直接的に言っているんだよね。

現代ドイツ人は「ヒトラー・アレルギー」みたいなものが和らいできているのもあって、こういう仮定だけでも「うーむ、怖い話だ」ってなるんだけども、問題は「ヒトラーが現代に復活したら?」というだけではなく「ヒトラーのような人間が現代にも登場したら?」という話に繋がっていくワケ。
一旦その話は後述するとして。


2010年代のドイツでも、人々はドラスティックな政策を望んでいる

この映画のスゲーところは、ヒトラーの格好をした役者を使って実際に街頭インタビューをしている事。
ヒトラーがいろんな人に「この国にはどんな問題がある?」「それはどうすれば直せる?」と聞いて回るわけ。
たとえば移民問題。
「移民のせいで仕事が無くなって困っている」
「移民は追い出さないといけない」
これをヒトラーではなく街頭インタビューで町中の人に答えさせる。

ヒトラーは「本当に追い出したら解決すると思うか?」と問い直す。人々は少し考えたあと「あぁ」と答える。
そういったインタビュー映像を挟んで、ヒトラーがテレビで「演説」をするシーンになる。
演説では
「移民のためにドイツ国民が苦しむ現状はおかしい。ドイツ国民の血税が移民のために使われる現状を変えなければ」
と語る。

観ているこちら側としては、なんの違和感もなく「ヒトラーの言っている事は、国民の声だ」と捉えてしまう。
(そもそもインタビュー映像が本物の街頭インタビューかどうかは知らないけれど。どうも本当にやったらしいが)

「ヒトラーは、国民の声の代弁者」であって、国民がドラスティックな変革を求めている。
ヒトラーは実に真剣に国民の声を聴いている。
そういうイメージが、映画観ているこちら側ですら思ってしまうんだよね。

だから、国民がドラスティックな政策を望むとき、苦しい現状をなんとかしてくれそうな政治家、ヒトラーに一票を託す事になるだろうと。
多少ヒトラーが排他的な政策を唱え始めたとして、それを是として受け入れ始めるだろうと。

現代ドイツにおいてドラスティックな政策を国民は期待しているのだから、その代弁をしっかりとしてくれるヒトラーのような人物がいれば信任されるだろう。
「多少差別的な政策」をやるかもしれないが、それは程度問題であって現状のとんでもなく悪い状態を少し良くするためであれば少し痛みを伴っても仕方がない。

そう見て取れる現状が、非常に危険なんだとこの映画は問いかけているワケだよね。
ヒトラーの演説を「うまいこと言うなぁ」なんて深く考えずに観ていた私のような人間にも伝わるように、この映画は考えるキッカケを作ってくれる。

一度転がり始めたら、運命の輪はおいそれと止められない

今、我々映画視聴者は、目の前の演説ぶっている人物が「ヒトラー」だと知っている。
知っているからこそ「彼に任せるととんでもない未来が待っている」と知っている。

じゃ、知らなかったら?

彼が「ヒトラーではない誰か」だったとき、その人に全面的に任せて本当に「第 2 のヒトラー」を誕生させないと言い切れる根拠はあるか?
ないんだよ、そんなものはどこにもない。
1930 年代、ヒトラーを支持した人たちは、最終的に彼がホロコーストを起こすことを知っていて支持したわけではなく、ほんの少しの排他的な政策を支持しただけにすぎないよね。

その「少しの排他的政策」が物事の発端となるのは 1930 年代も 2010 年代も同じなんではなかろうかと。
彼の政策が仮に少しずつ「排他的」な度合いを増していったとき、明確な基準があって「ここからはノー」なんて言えるだろうか? それはおそらく 2010 年代のドイツでも無理だろう。

一度転がり始めた運命の輪は、おいそれと止めることなどできない。
そして、人間はそのことを 80 年前に一度経験しておきながら、また同じ過ちを犯しかねない境界線に来ている。

この映画が語りたいのは、そういう人間の根源的な愚かしさだと思うんだよね。
もちろん表面的には「もう一度ヒトラーが現れたらどうする?」という現代ドイツ人への警鐘ってカタチをとっているのだけれど、しかし言いたい事の深層は「人間って結局そういう生き物なんだよね」っていう身もふたもない話なんだろうなぁと感じたワケですね、ハイ。


本当に我々は過去から学べているのか?

強烈なリーダーシップでもって絶対君主的な政治を行えれば、確かに猛烈な速度で現状を改善することができるかもしれない。実際にヒトラーはそうだった。地の底に沈んでいたドイツ経済を動かすために大量の公共工事を行って一気に経済を(表面上)立て直すことができた。
だが、その果てにドイツが見たのは地獄だった。

だから、多少時間がかかっても、ドラスティックな変化は起こせなくても、現状の民主主義で我慢するのがドイツ国民のためなのではなかろうか? という問いかけが暗に隠されていると思うんだよね。もちろん全くそんな言葉は出てこないし、押し売りはしてこないけども。でも考えていくと、そうするしかないよなぁ、と。
「消去法で現状維持」という風なメッセージだと思うのね。
なんでかって、現状の民主主義は、とっても効率が悪いが、とっても保険の効いた安全なシステムだからさ。
国というスーパーパワーをコントロールするためには効率を犠牲にしてでも安全性を重視しなければならないと、そういうことを国民一人一人が認識したうえで民主主義の政治に対してアプローチしなければならないんだと、そういう啓蒙された気がしたんだよね。俺は。


現代の教育において「ヒトラーは悪」で片づけていいのか?

みんな教科書で「ヒトラーっていうのは極悪人で、とんでもないことをしましたよ」って習ってるじゃん。
だけどヒトラーだけが特別だっていう教え方は、やっぱりおかしいんじゃないのっていうのがこの映画を観た後での俺の感想。「ヒトラーが悪である」ということは、後世から見ればわかるけれどリアルタイムで現れたら分からないわけでしょう。つまり 1930 年代のドイツ人がとびきりのバカだったわけじゃなくて、現代人だって同等にバカなわけ。
ヒトラー本人だって、最初は「よーしユダヤ人を皆殺しにしてやるぞー」って思って政治活動始めたワケじゃないよね。最初は愛国心でしょ。

ポピュリズムと民族主義が台頭しつつある 2010 年代の現代、「未来のヒトラーを我々は見抜くことができる」と言い切れるだろうか?
当然、言い切れない。だから「ヒトラーというのが飛び切り悪い奴」という教え方ではなく「誰か一人に全部任せると取り返しがつかなくなる」ということを学ばないといけないと思うんだよね、ぼかぁね。
「こういう運命の輪を廻さないためには、どういう社会制度が適切なのか?」というのが、我々が WW2 で得た教訓なのではないのかなぁと、まぁそう思うんだよね。

それが、この映画を観た最大の感想かもしれない。
民主主義はクソッタレだけど民主主義は最高だ、って話。

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