ほし | ☆☆☆☆☆ (0/5) |
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寸評 | 僕はドラえもんが大好き。それ故に、素晴らしい原作があるのにそれをクシャクシャにしてしまった本作はボロクソに言われても仕方がないと思う。本当に酷い。 |
とにかく酷いところを列挙したくなる出来
もうねぇ……。酷いよ! なんでこんなに酷い出来栄えになるんだよ! 原作漫画読んだら、こうはならねぇだろ!観終わってから数日経っても、怒りが収まらない。原作の良い部分をシュリンクし、意味不明なオリジナル要素を追加するクソ采配。
そのクソオリジナル要素で追加されたキャラクターの声優に香里奈を起用するというクソ&クソ采配。
ともかく怒りに任せて酷いところを列挙しよう……。
酷いところリスト
まず酷いところをリストアップ。これだけではなかったハズだけど、もう今となっては怒りで我を忘れてしまいこれしか覚えていない。- 追加したストーリーが陳腐だし、そのせいで全体のテーマが不明瞭になった
- とにかくギラーミンをセコいキャラにしてしまったのが許せない!
- ドラミを無理やり入れて結局不要
- 主要キャラ・クレムの声優の出来がヒドすぎる
- オリジナル追加キャラ・モリーナの声優の出来がヒドすぎる
それぞれを、簡単に補足しよう。なんで「簡単に」補足なのかというと、実のところ私の言いたいことはすべて他のブログに書かれていたから。そっちを読んだら、もう僕の気持ちがほぼほぼ書かれていたので「簡単に」書いて終わりにしようと思い立ったのさ!
追加したストーリーが陳腐だし、そのせいで全体のテーマが不明瞭になった
あのね、もともと「宇宙開拓史」というストーリーのね、メインテーマは「一期一会」だと思うんだよね。「ワープに失敗した宇宙船の扉が、たまたまのび太の部屋の畳の裏に繋がってしまう」という、極めて偶然から物語スタート。そこでたまたま出会ったロップル君をのび太とドラえもんが助けていくうちに友情が芽生える、みたいなストーリーね。
ほぼ自分の人生に無関係なロップルたちのために、力を合わせて悪いヤツラと戦う! こういう「一期一会を大事にする友情ストーリー」なワケ。
完璧に悪役として描かれるガルタイト鉱業。そのヤクザ的な会社を相手に回して、命がけの戦いをするんだよ。ドラえもんものび太もね。それって何のため? 目の前の困っている人を無視できないという心の優しさ、これは一期一会の精神の極限なんじゃないかとね、そう映るんだよねこのストーリーは。
それだのに、なんなんだこの映画は。
映画がスタートして最初、オリジナルキャラクターの博士とその娘(モリーナ)が出くる。その博士が宇宙に飛ばされ、娘は目の前でその様を見せつけられてショックを受ける。
そして何の繋がりもなく、宇宙開拓史のストーリーが始まる。
で、途中モリーナは特になにかあるわけでもない。そして物語終盤、ガルタイト鉱業がモリーナのところにやってきて言う。
「博士は他の村人に見殺しにされたんだから、村人に味方するのび太達がどこから来るのか教えろ」
「はい、わかりました」
は??
ただのバカじゃん。今までアレやコレやと、さんざん自分たちに嫌がらせしてきたガルタイト鉱業。その一味がちょっと村人の悪口を言ったらホイホイと大事な秘密を漏らしてしまう。
バカじゃん。
で、このバカ女の役目は他には無い。新キャラとして出てきて、大事な秘密を敵にチンコロして終わり。
物語は、このバカ女が招いたピンチをのび太達が乗り越えて、最終的にコア破壊装置を止めるシーンまで進む。
原作では、最後も奇跡的な偶然でコア破壊装置が止まるというステキな天丼展開(ストーリーのスタートが、奇跡的な偶然。そして物語の幕引きも奇跡的な偶然)なのだけど。
この映画では、コア破壊装置を止めるため、コア破壊装置ごと異世界に行くという改変がされている。そもそも「コア破壊装置」なんだから、コアまで繋がってる装置を「無理やり引っこ抜く」という解決策はどうなんだ、ってカンジではあるけれど、そこは一旦置いておこう。
で、その後なんだか分からないけど異世界みたいなところに飛ばされて、そこで、なんだか分からないけどモリーナの父親に再開する。そこで「パパァ〜!」なんて泣いて感動の再会、みたいなことになってる。
もうね、ドッちらけですよ。
裏切り者のバカ女が父親と再会しようが、別にどうだっていい。ストーリーに全く関係してない人間の、感動の再会なんて興味ない。
しかも、この「感動の再会」がストーリー上のクライマックスになっている(らしい)。もともとの宇宙開拓史は「一期一会の極限」みたいな話で感動できたのに、ここに一期一会とまったく無関係の「生き別れの親子の再会(しかもよく知らない人の)」をクライマックスにしてしまったことで、もうストーリー上のメインテーマが失われてしまっている。
簡単に言えば「だから何が言いてぇんだよこの映画は」という風になってしまった。
もともといいストーリーがあるのに、それをこんなグチャグチャのゴミ溜めみたいな映画に仕上げてしまうなんて頭がどうかしているとしか思えない。
とにかくギラーミンをセコいキャラにしてしまったのが許せない!
ギラーミンって言ったら、ドラえもんの全大長編作品の中でも随一の悪役なんだよ。彼の放つ威圧感、存在感、恐怖、畏怖、不気味さ、そのすべてがハイレベル。
のび太との決闘シーンなんて、もうそれはドキドキしたもんだよ。
それが、なんだこの映画は。
決闘に負けたギラーミンが、宇宙船に乗り込んで「ははは、もうコア破壊装置は止まらないぞ!」なんて捨て台詞を言って逃げ出している。
待て待て! そんな安い悪役にするな! その役目は、もともとのガルタイト鉱業の太っちょが担うべきだろ!
原作を読んでいれば、ギラーミンをこーんなセコいキャラに変貌させるなんて想像することすらできないだろう。
まぁギラーミンと並んで、のび太の決意もシュリンクされてしまって決闘シーン自体がすっごいしょぼい仕上がりになってしまっているんだけどね。
原作では、汗をダラダラ流しながら「無謀な勝負に挑む」という勇気を振り絞るのび太。うーん、かっこいい。
なのにこの映画では、ドラえもんから「君の射撃の腕なら勝てるはずだ!」なんてけしかけられて、それならやってみるか、みたいなノリになっている。
そのセリフを入れたことで、視聴者の緊張感も無くなってしまうって製作者は思わなかったんだろうか? 「ふーん、勝てるんだこの勝負」って思ってから決闘シーンなんか見せられても、なにも緊張しないわ。
ドラミを無理やり入れて結局不要
ドラミ出てきたんだけど、あれ要る?ドラミが出てきちゃうとさ、四次元ポケットが 2 つになるから観ている方の緊張感が減るんだよね。しかも視聴者が見ていないジャイアン・スネ夫・しずか側に帯同しているおかげで、原作でジャイアンたちが助太刀に入るグッとくるシーンの盛り上がりがめっちゃ盛り下がってしまった。
必要ないのに無駄に追加することで、ストーリーの抑揚が無くなった。
主要キャラ・クレムの声優の出来がヒドすぎる
今作のメインゲストはロップル君。その妹がクレム。そのクレム、登場回数が多いくせに声優がド下手くそ。いや、あんまり声優がうまいとか下手とかで文句言わない方だけどさ、僕は。でもこれは棒読みがヒドすぎる。
新ドラえもんの映画では、なんかやたらとゲスト声優を使ってるんだけどさぁ、無理やり下手くそを使って話題作りみたいなことしないで欲しいよね。このクソ棒読みを聞くたびに「あー、なにかのバーターで出演してるんだろうなぁ」とか現実世界のことに思いを馳せてしまうから、まったく映画に集中できない。
簡単にいえば、没入できない。
オリジナル追加キャラ・モリーナの声優の出来がヒドすぎる
また声優の話かよ、って思うだろうけども。わざわざ追加した、不要な新キャラ・モリーナの出来も酷い。これ、香里奈なんだってさ。どうしてそういう事になっちゃったんだろうねぇ……。演技は下手くそだし、そもそもキャラが不愉快だし。しかも、極めつけにすごいのが「モリーナの子供時代」を演じているのが、本職声優の堀江由衣。
は???
いや、だったら堀江由衣に全部やらせろや。ソッチの方が断然自然だろ。香里奈をどうしても使いたいんだったら、うーん、そうだなぁ……ロップルの母で使え! ちょっとしか出てこないから我慢できるぞ!
ま、そうなるとロップルの家族全員棒読み星人になってしまうんだがな。
どうして優秀な原作があるのに、こんな酷いものが作れるのか?
もうね、ここまでグチり倒したから二の句、三の句なんて無いんだけども。普通に優秀な原作通りにやってくれたら良かったのに。旧作映画の宇宙開拓史は、そもそも漫画原作から少し改変があったとのこと(私は実は旧作観たことない)が、前述したブログに書いてあった。だとしたら、旧作との差別化なんて「原作漫画通りにやりました」ってので十分じゃん。
クソみたいな追加ストーリー入れて、まったく原作のメインテーマを破壊して、よく平然としていられるもんだよ。監督と脚本家には転職を勧めたいね。
3 件のコメント:
comment id : 1528321190470391716
最近この映画を見て、あまりの酷さに同じ感情を抱いた方がいないか探していた者です。
言いたかったことが全て言語化されていて溜飲が下がりました。
ありがとうございます。
comment id : 7323908017483040623
ありがとうございます。
本当にヒドい映画でした……。まともなスタッフで再リメイクして欲しいぐらいです。原作に忠実なバージョンを、ぜひとも。
comment id : 2455480573705104718
記事の末尾に追記があります)
往生際の悪い負け御玉杓子「ひろゆき」がF爺攻撃を続けているという情報が幾つかあります。そのうちの鱈太郎さんと泉正弘さんから届いたものを今日の記事にします。
鱈太郎さんからのコメント
鱈太郎さんからの8月10日付けのコメントを引用します。色分けと打ち消し線は、F爺が勝手に施しました。
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ひろゆきはF爺先生のデイリー新潮の記事に対して引用RTで、まだマクロン大統領についてあれこれいっているようです。
以下ひろゆきツイートから引用
マクロン大統領は「putain」を強調で使ってますが、「無教養」とか「無頼漢」といった烙印は押されていません。
侮蔑・罵倒以外の使い方も辞書に書いてあります。
事実と異なることを記事にしてる理由を教えて頂けますか?
まだ過ちを認めない姿勢には困ったものです。
*****
F爺は、当ブログの記事〈日本人・極東人差別者デンベレとグリズマンを擁護する不可解な日本人〉でこう書きました。自己引用します。なお、太字は、この記事のために新たに施したものです。
#####
「強調のためによく使われる」
は、何かの間違いでしょう。単なる強調のために使ったりしたら、
「教養を疑われる」どころではありません。直(ただ)ちに「無教養」「無頼漢」「最下層階級」・・・
と烙印を捺(お)されます。」
#####
一方、「ひろゆき」が「マクロン大統領」の発言だと思い込んだ動画は、マクロン氏が大統領になる前に贔屓のサッカー・チームが敗退した時の無念さを表現する独り言を捉えたものです。撮影されていることを知っていたのですから軽率でした。そのため、大統領になった後でその動画が公になった時、フランス国民の笑いを誘ったのです。
そして、マクロン氏の年齢のフランス人が不用意に用い、動画を見たフランス語人が年齢の別無く大笑いしたというのは、この「putain」という言葉が決して「若者言葉」ではないことを示しています。
マクロン氏のこの発言は、「無念さ」「落胆」「失意」「口惜しさ」の表明です。何かの「強調」ではありません。「強調で使ってます」というのも、「ひろゆき」お得意の歪曲です。「ひろゆき」は、一体マクロン氏が何を強調したと言うのでしょうか。「ひろゆき」は、「強調」という言葉を意味も知らずに使っています。フランス語能力も片言未満ですが、日本語も不自由なのです。
F爺が「事実と異なることを記事にしてる」という「ひろゆき」の主張は、いつものように、捏造です。真っ赤な嘘です。そんなものに応答する必要も意味もありません。
第一、F爺は、「ひろゆき」のツイートのような無価値なものをわざわざ探して読むことはありません。
F爺に向かって物を言う資格は、嘘吐きの卑怯者「ひろゆき」には無い
「ひろゆき」は、これまでの数々の歪曲引用・改竄引用・捏造引用のどれ一つも撤回・謝罪していません。F爺に物を言う権利も資格も無いのです。何よりも先ず、自分が恥を知ることが必須です。
また、「ひろゆき」はF爺を「自称・専門家」と呼んでいるそうですが、F爺が何の専門家を「自称」したと言うのか、説明していません。怠慢であり、卑怯です。
「ひろゆき」にフランス語を論ずる資格は無い
そもそも「ひろゆき」は、フランス語の初歩の初歩、基礎の基礎を知らない(*)(**)ことを自分で証明しています。
(*)「ひろゆき」がフランス語の男性名詞と女性名詞の区別を知らない件については、当ブログの記事〈「釣り」の成果と「ひろゆき」のおフランス語〉をご覧ください。
(**)「ひろゆき」がフランス語辞書の用いる「très familier」の意味を知らない件については、当ブログの記事〈「ひろゆき」の(意図的かもしれない)誤訳〉 をご覧ください。
「ひろゆき」のようにフランス語を知らない者が知ったかぶりのみでフランス語を論ずるものではありません。
何度でも繰り返しますが、「ひろゆき」は、前々から・当初から・太古から(*)存在しない発言を捏造して攻撃をする嘘吐きの卑怯者だと判明しています。相手にしてくれるようなお人好しがどこにいると思っているのでしょうか。全く底無しの馬鹿です。
(*)「太古から」は、勿論、意図的な誇張です。正確には、「44年近く前から」です。生まれて間もない赤ん坊の頃に「他者の発言を捏造する」なんていう芸当は出来なかったはずですから。
この状況で「ひろゆき」が何を主張しようと全て無意味です。
「ひろゆき」の詭弁に気付かず支持し続けるのは、「ひろゆき未満の馬鹿者」だけです。
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