ひろゆき vs F爺のバトル、論理的にはひろゆきの圧勝

2021/07/20

ディベート

t f B! P L


※2021/07/21 追記

  • 「聞いたことがないからフランス人は使わない」に説明追加。
  • 差別かどうかの判断は別件であると補足を追加。
※2021/07/26 追記
  • 「2.そもそもF爺は最初から論点がズレている」の内容修正。
  • コメントの注意書き追記。
コメント仕様上、200件以上のコメントを読み込むにはコメント最下部の「もっと読み込む...」をクリックする必要があります。

結論

ひろゆき vs F爺のバトルは「ひろゆきの圧勝」

理由

ひろゆきの質問「 putain はよく使われる、ということを知っているのか?」に対して、F爺は一切答えられていないため

私が見落としているニュースがあるかもしれないんですが、この情勢で「ひろゆきが論破された」と言っている人は、ちょっと日本語力に問題があると言わざるを得ないです。
ディベート的には、ひろゆきが圧勝してます。

※もし私が見落としているニュースがあったら教えて下さい。

補足。ひろゆきとF爺のバトルは、最初から「差別発言だったかどうか?」は議題になっていません。時系列は後ほど整理しますが、発端は「 putain が強調の意味で広く使われるかどうか」です。
ひろゆきがこれより前に行っていた「差別か差別ではないか」という主張と、F爺とのバトルは全くの別件です。まぜこぜにせず、別件として読み進めてください。

以下の順序で話していきます。

  1. バトルの概要 
  2. ひろゆきが「勝ち」の理由 
  3. なぜか「ひろゆきの負け」と感じる人たち 
  4. F爺はどうすべきだったのか? 

バトルの概要

発端

中日スポーツ | ひろゆきさん、フランス代表デンベレの“差別発言”に持論 雑談でよく使われる言葉が翻訳のニュアンスで大騒動に
-----
ひろゆきさんによると、動画内で出てきた「ピュータン(意味は娼婦)」というフランス語は、英語で言う「F○○K」に近いもので、強調のためによく使われるという。雑談でよく使われる言葉が、日本語に翻訳されるときに、本来の意味と離れてしまったと分析する。
-----


簡単に言い直すと、以下です。
「日本のニュースでは『後進国の言語』などと翻訳されているが、誤訳ではないか。 putain は F ワードのように広く使われており『クソ言語』程度の意味合いではないか」

これ、ひろゆきの言ってる根本なので忘れないようにしておいてください。

F爺指摘 1

これに対して
 F爺・小島剛一のブログ | 日本人・極東人差別者デンベレとグリズマンを擁護する不可解な日本人
-----
「強調のためによく使われる」
は、何かの間違いでしょう。単なる強調のために使ったりしたら、「教養を疑われる」どころではありません。直(ただ)ちに「無教養」「無頼漢」「最下層階級」・・・と烙印を捺(お)されます。
-----


と、つまり文脈としては「少しでも教養がある人間は使わない」と主張しています。

ひろゆき反論 1

これに対して、ひろゆきはツイッター
-----
「聞いたことが無いからフランス人は使わない」というのは勉強不足なだけだと思います。
-----

と応戦。
その後ひろゆきは「 "putain" という言葉は広く使われていますよ」というツイートを重ねていきます。映画で使われているとか、マクロン大統領も使っているとか。

F爺指摘 2

これに対して
F爺・小島剛一のブログ | 「ひろゆき」がF爺・小島剛一を「勉強不足の高齢者」呼ばわりしていた(本編)
-----
F爺は、「putain」という言葉を「聞いたことが無い」とも「フランス人は使わない」とも、どこにも書いていません。「ひろゆき」は、歪曲・捏造引用をしています。
-----


と反論。

このあとはF爺が罵詈雑言を吐き続ける展開だけがあり、話は進展していません。ひろゆきもその後の攻撃は止めているようです。

この流れから判断できること

で、この流れで僕は「ひろゆきの圧勝」だと理解しました。

ひろゆきが勝ちの理由

簡単に箇条書きで書くと、以下の理由です。
  1. ひろゆきの問いにF爺が答えられていない
  2. そもそもF爺は最初から論点がズレている
  3. F爺は煽り耐性が低く、顔真っ赤で罵詈雑言を並べ立てている
それぞれ、詳しく説明します。

1.ひろゆきの問いにF爺が答えられていない

振り返ってみましょう。

ひろゆき「 "putain" は強調の意味で広く使われていて、差別と解釈されたのは誤訳」
F爺「 "putain" は無教養な人間しか使わない」
ひろゆき「映画でも広く使われていますし、辞書にも載ってますが」

これに対してF爺は、なんら反論していません。それどころか必死に話題そらしをしています(どういう話題そらしかは後述)。

おそらく "putain" は f○○k や b○○ch などのように広く使われている、という事実があってその事実を否定することができなかったのでしょう。
なので、必死に話題を逸らしているんだと想像します。

参考:
FRANCE365 | Daisukeのフランスこんな小話(5)僕たちが使ってはいけない「あの言葉」
-----
Putain
フランスに来たことがある人なら、一日一度は必ず耳にするこの言葉。誰もかれもが使いまくっているこの言葉。
-----

ここに限らず、非常にたくさん検索にひっかかります。

質問に答えない、って時点でF爺の負けです。

2. そもそもF爺は最初から論点がズレている

最初のF爺のブログエントリを見返してみましょう。
F爺・小島剛一のブログ | 日本人・極東人差別者デンベレとグリズマンを擁護する不可解な日本人
そこに、こう書いてあります。
-----
それに、問題は、「putain」という言葉の日本語訳が誤訳であるか否かではありません。「ひろゆき」氏の言説は的外れもいいところです。
-----
はい、ここでそもそも論点がズレています。
ひろゆきは「putainを差別とするのは誤訳」と言っているだけなのに、F爺は「誤訳かどうかは問題ではない」と言い出しています。
論点をズラしてますよね。

※2021/07/26 コメントで指摘受けて修正。この時点でF爺の発言の意図は「差別かどうかが主題であり、putainが誤訳かどうかは的外れ」という意味にとれます。なのでこの部分を以下に修正します。

ひろゆきの「差別ではないのでは?」という主張のうち、各論が「たとえば putain という単語は差別的ではない使われ方がよくされているのに、日本では差別的な言葉として翻訳されている」です。
つまりこの記事の putain 部分の文脈を要約すると「この putain は差別的な用法ではないのではないか?」です。
にもかかわらず、反論で「putainの誤訳が的外れ」というのは論点ずらしです。
もしこの場面での putain が差別的な用法だとすれば「○○であり、この putain は差別的用法なのが明らか」といった反論になるはずです。
「putainが的外れ」という言葉は違和感が強いです。

それはなぜでしょう? なぜ「誤訳かどうか」を正面から議論しないんでしょう?
前述のとおり「誤訳の可能性がある」から避けたいのでしょう。万が一にも「誤訳かもしれません」なんて認めるワケにはいかない、困る状況になっているのです。

彼はこのエントリ「フランス在住だと言う日本人がブログで二人を擁護しているのも散見します。(中略)まともなフランス語の話せないことが歴然としています」と書いています。
つまり「この発言が差別でないと言う人間はフランス語が話せない」と言っているわけですね。
もし「差別ではないかも」ということになると、この言葉が逆に自分に向かって襲いかかってきます。自分自身が「フランス語が話せない」人間になってしまうワケです。
誰からも強要されていないのに、自分から勝手に追い込まれてしまう。なかなか滑稽な風景ですね。

……本当は、F爺も「 putain は差別表現」とは書いてないんで、別に突っかかる必要なかったんですけどね。だけど「誤訳だよね」という言説は、自説への攻撃だ! と考えて突っかかって行ってしまったのでしょう。やはり冷静さが無いですね、F爺には。
部分的に相手を認めたり、自説を少し訂正したりすればいいんですけどねぇ。無駄にプライドが高いんですかね。こういう人は、レスバトルには絶対勝てません。
プライドが高いのならば、無用に他者を攻撃するような言葉を使わなければいいんですけどねぇ。

答えたくない質問を話題逸らして逃げてるので、F爺の負けです。

3.F爺は煽り耐性が低く、顔真っ赤で罵詈雑言を並べ立てている

まずは本人がまとめた罵詈雑言をコピペします。
-----
「ひろゆき」は、
# 頻繁に議題のすり替えを試み、
# 自分が無知なくせに
# 他者を「勉強不足」呼ばわりし、
# 人格攻撃を好み、
# 何が若者言葉であるかも知らず、
# 映画を観る時には悪罵の出現回数を指折り数えることに集中し、
# 高齢者差別をし、
# 何が人種差別であるかも知らず、
# 自分が差別されていることにも気が付かず、
# 44歳にもなって未だに「若者」のつもりでいます。

素性を隠していない人物からこれほど愚かな言いがかりをネット空間に撒き散らされたのは初めてです。

F爺は、慎(つつし)みというものがあるので、「ひろゆき」を形容するのに恥知らずだとかおめでたい奴だとか軽薄そのものだとか卑怯者だとか嘘吐きだとかは事実だから何度でも繰り返しますが、個人的な印象に過ぎない「糞野郎」だの「ケツの青い餓鬼」だの「足が生え始めたばかりの御玉杓子」だのというはしたない悪罵は致しません。
-----

まぁ他にもあるんですけどね。わざわざ本人がまとめてくれているので手間を省きましょう。
なんかもう顔真っ赤なのが伝わってきますよね、ビンビンに。煽り耐性がないんですねぇ。ちょっと「若者言葉が分からない」って言われただけで、これだけ罵詈雑言並べられるんですから。冷静さを保つのが大事だということが、良くわかります。

顔真っ赤にして罵詈雑言並べ立ててる人は、まともな議論の土台にすら立てていません。つまりF爺は負けてます。

F爺の論理破綻っぷり

ひろゆきの質問に対してF爺が反論できない、というのは説明しました。質問に反論できない代わりに、話題そらしの各論をわーわーと喚いています。
顔真っ赤にして、本題とはズレた各論に持っていっているF爺。
しかしその各論でも、中身はほぼほぼ論理性がなく、ズレた内容になっています。

F爺はひろゆきの歪曲・捏造だと言っているが

すべてを挙げていくのは大変なので、一番最初のF爺の反論を例にしてみましょう。
-----
F爺は、「putain」という言葉を「聞いたことが無い」とも「フランス人は使わない」とも、どこにも書いていません。「ひろゆき」は、歪曲・捏造引用をしています。存在しない瑕疵を捏造して攻撃しています。つまり嘘吐きです。卑劣です。
-----


さて、本当にF爺は「聞いたことが無い」とも「フランス人は使わない」とも書いていないでしょうか?

F爺・小島剛一のブログ | 日本人・極東人差別者デンベレとグリズマンを擁護する不可解な日本人
-----
「強調のためによく使われる」
は、何かの間違いでしょう。単なる強調のために使ったりしたら、「教養を疑われる」どころではありません。直(ただ)ちに「無教養」「無頼漢」「最下層階級」・・・と烙印を捺(お)されます。
-----

F爺はこう書いています。

この文脈は「とんでもなく無教養なごくごく一部の人間だけが使う」という言い方ですよね。多くの人がそう感じる書き方だと思います。
これって「ほとんどのフランス人は使わないよ」って意味だと要約することもできますよね。
つまり、F爺は「(強調のためには)ほとんどのフランス人は使わない」と言っています。

また事実として、多くのフランス人が強調の意味で putain という言葉を使っているようです(前述のとおり)。しかしF爺は「ほとんどのフランス人は強調のために使わない」と言っている。つまりF爺は「広く使われている」という事実を「知らない」ということになります。

で、ひろゆきは、この 2 つの要素をまとめて「聞いたことがないからフランス人は使わない」と要約しています。
「知らない」=「F爺の周りで『よく使う』と言ってくれる人がいない」=「F爺は『よく使う』と聞いたことがない」という意味で「聞いたことがない」となります。

つまり、F爺は「フランス人は使わない」と書いているし、それは周辺で「よく使う」と聞いたことが無いからだ、という論理が成り立ちます。

注意が必要なのは、この要約は非常に恣意的で、イヤミです。ひろゆきの攻撃です。
相手が言っている事を、意図的に小馬鹿にするように要約しています。
個人的には、少し煽り始めるのが早すぎると思いますが、しかし、この要約は嘘ではないこれがとっても大事なポイントで、ひろゆきの拠り所でもあります。

嘘ではない範囲で相手を小馬鹿にするというのがテクニックの 1 つですよね。まぁそれにまんまと乗っかってF爺は顔真っ赤にして支離滅裂になっちゃうんですけども。

F爺は自分の都合でしか言葉を解釈できない

これ以外にも、「若者言葉」という言葉を曲解して「古い言葉だ!」と言い返すなど、反論になってない言葉を喚き散らしているだけです。
「若者言葉」を「若者だけが使う言葉」という解釈をしていますが、ひろゆきの言っている意味はもう少し広義でしょう。「若者が好んで使う(年とってくと憚られるので使わなくなる)言葉」という意味が近いかと思います。

たとえば「うんち!おしっこ!」って幼児が連呼するのを「幼児言葉」って言ったら「『うんち』って言葉は古くは江戸時代からある言葉だ!」って言い返されてる構図に近いですね。

F爺は姑息にも相手にレッテル貼りする

そもそもF爺は最初から卑怯で姑息な手法を使ってます。自分の権威や肩書を利用して、相手にレッテル貼りして、さも相手が間違っているかのような印象操作を行っています。
F爺・小島剛一のブログ | 日本人・極東人差別者デンベレとグリズマンを擁護する不可解な日本人
-----
《「ひろゆき」氏のフランス語は、カタカナ発音を並べただけの幼稚なものなのだろう》
という推論が、揺るぎなく成り立ちます。
-----
《「ひろゆき」氏って、フランスで何してるのか知らないけど、よっぽど柄の悪いフランス人とばかり付き合って・・・もごもご、ごにょごにょ・・・(以下自主規制)》
-----
自分のフランス語能力を極度に過信しています。全然大したことないのに。
-----


自分で
# 人格攻撃を好み、
とか書いてますが、人格攻撃を好んでいるのはF爺本人なんですよねぇ。

なぜか「ひろゆきの負け」と感じる人たち

このように、圧倒的にひろゆきの勝ちなんだけど、なぜかこのやり取りを見て「ひろゆき敗北!」とか「ひろゆき、論破される」とか言ってる人が多いんだよねぇ。とんでもなく多い。
こういう人たちって、ひろゆきの言葉を借りれば「頭の悪い人たち」なんだろうけども……。なんでそういう風に結論づけちゃうんだろう?

議論の内容を見ないで、双方の肩書だけを見ているんだろう。学者として実績のある人がブチギレているんだから、きっとそっちの言うことが正しいに違いない、という安直で短絡的な発想。
日本人というのは、本当に議論がヘタクソなんだなぁと思うよね。

なんでこれで「ひろゆきの負け」と感じるんだろうか? 本当にまったく意味が分からない。数々まとめサイト見てみたけど、まともなコメントが 1 つも無かった。
ひろゆき憎けりゃ袈裟まで憎いんだろうなぁ。

ひろゆきが負けてそうな部分

もちろん、各論ではひろゆきが間違っている部分もあります。
「マクロン大統領が当選のときに putain と言っている」と言ってますが、実際はスポーツ観戦の後に冗談半分で言っているところらしい、とか。
「ヤバいの語源は矢場」と言っていますが、それが語源かどうかは諸説ある、とか。

でも、ひろゆきがその枝葉の部分が間違っていたとして、F爺が「 putain が広く使われていることを知っていますか?」に答えられないことと、なんの因果関係もありません。枝葉末節の揚げ足とって勝った気になるのは、ちょっとどうかしてます。

F爺はどうすべきだったのか?

根本的には、まず最初に「差別だと分からない人はフランス語が話せない人」などと無用な攻撃をすべきではなかったですね。
なんていうか、議論をするときに罵倒の言葉を入れるのは非常にリスキー。罵倒することで得られるものは何もないのに、そのせいで勝ち筋を失うことになります。
なので、F爺は最初に罵倒まじりのエントリをすべきではなかった。

次善策として、差別ではないかもしれない、と言われた時に putain の利用状況を自分で調べて、なるほど確かによく使われる、と思ったら「部分的に謝って撤回する」べきでした。
つまり「確かに putain は良く使われる。この言葉がすなわち即差別というわけではない。誤解を招く表現になっていたかもしれないので、その部分は謝罪して訂正する」と言うべきです。
その上で「しかしこの文脈、カメラアングルから見て日本人に向けて侮蔑的に用いられていると私は判断した。これは絶対的評価がある話ではないので、多くの人が同じように感じられたのであれば、それは差別表現ということになるのではないだろうか」という補足をすれば良かったと思います。

そうすれば、自分の最初に言ったことは間違いでは無いですよ、という体が作れます。
ま、ただそうなると「絶対的評価じゃないのに『フランス語が話せない人』って他人を罵倒していいのか?」って話になっちゃいますけどね。

F爺は、まずそういうツッコミがないことを祈りましょう。
で、仮にそのツッコミいれられたら「確かに。勢いで過剰な表現しました。フランス語が話せない人と書いたことは誤りでした。申し訳ありません」と素直に謝ればいいと思います。
それですべて解決です。

日本人の多くが勘違いしているんですが、間違い、勘違いを認める事は「議論で負けた」わけではありません。
それが分からない人、非常に多いんですけどね……。

「この表現は差別だと判断した」
この主張を引っ込めてはいない。しかも引っ込めない理由もちゃんと言えている。過剰な表現だけを引っ込めた。
自分が最初に主張している主題は「差別か、差別ではないか」なので、そこは全然負けてない。なので、議論で負けているわけではない。

そういう論法が成り立つので、F爺はそこまで下がるべきでしたね。まぁ冷静にそういう判断ができる性格ではなさそうですけども。

ブログ内検索

ブログ アーカイブ

Ads

QooQ