【★1】映画「殿、利息でござる」は何もかもがアンバランスだった【感想】

2019/02/16

★1 映画ドラマ批評

t f B! P L
殿、利息でござる
ひどくアンバランスな映画だった

評価

ほし ★☆☆☆☆☆(1/6)
寸評 簡単に言えば「30分で済む話を無理やり2時間にしたせいで中身スカスカ」な映画。
江戸時代、貧しい村が生きていくために行ったすごく珍しい事、ってのを映画化したかったんだろう。だけどただの時間合わせしてるだけに終始している。

以下ネタバレ多分に含みます。

「映画化決定」のノリで映画化してみた結果

この映画を作るスタートポイントは、ある貧しい村が生きていくために行った珍しいことを感動的に伝えよう!という所だろう。
で、その珍しい事ってのが
「藩に金を貸して、その利息を毎年もらう」
というもの。

映画内では「藩が村から金を借りた例はこれのみ」みたいな説明がなされていた。
へぇ~、確かにスゴいねぇ。思いついただけでもスゴいけど、実行しちゃうのがスゴい。

ただねぇ……。
この話、アンビリーバボーの後半だけで十分伝わっちゃう話なんだよねぇ……。
それを、なんと 2 時間 9 分まで引き延ばしたんだよねぇ……。

そこで話の膨らましが必要なんたけど、この映画のスタッフは本題を膨らますんじゃなくて、なんか余計な部分膨らませようとしたんだよねぇ……。

意味不明な障害

トントン拍子で話が進むんなら映画になんかならないわけで、艱難辛苦を乗り越えてついに達成したぞー!ってなるから「映画化決定」になるよね。
だから「主人公に襲いかかる障害」は必要不可欠。

ただ、その襲いかかってくる障害が意味不明すぎる

種銭集めに協力しない金持ち、という障害

藩に金を貸し付けるための種銭が必要だってんで村の有力者たちが協力するんだが、どうにも足りない。
1 店、ドケチで有名な浅野屋は、しこたま銭を溜め込んでるらしいが、どうせドケチだから協力してくれないだろう……。

主人公は私財を売りさばいてまで金を工面しようと必死になる。
家族から反発されても、それでも止めない鉄の心。

そんな苦しい日々を送っていると、ある日浅野屋が金を出してくれると言い出した。
これには主人公も大助かり!

うーん、最初から相談してれば良かっただけだよね?
ここに至るまで、長々と「いかに苦労して銭を集めているか」を描写してきたけど、相談さえしていればする必要がなかった苦労だね?

いや、あのね、世の中のストーリーにはね、「ホントはこうしてればいいのにしないから苦労した」って物はいくらでもあるよ。
でもそれは、なんていうか「やり方を改めたからうまく行った」に至るための演出だと思うのよ。
見てる方は当然神様だから「こうすればきっと成功する」って正解が分かってる。
だから正解以外を選択したら「あーあ、こっちの方法にすればいいのに」って思うじゃん。
で、最終的にやり方を変えて正解を選択するから「あーよかった」になるわけ。

主人公の頭の良さとかスペシャリティを強調したいなら、「明らかに正解と思われるもの」を用意しておいて、別の方法で失敗、いよいよ正解を取るかと思われたときに、あっと驚く別の手段を取って成功に導いたりするじゃん。

障害が勝手に解消されたら、視聴者はつまらない

まぁつまり何が言いたいかというと「主人公の選択」が必要なの。
それがだよ。
何も選択してないのに、突然浅野屋が「お金出します」って言い出したらさ。
「じゃ、最初から相談に行けばよかったね」
って思われても仕方ないでしょうよ。
実際、「お金を集めよう」と言い出してから、浅野屋が「お金出します」というまで、映画内で 30 分も経過している。
映画の 30 分だよ? もう全体の 1/4 ぐらいの時間、ただただ無駄にウジウジしていたというのに等しい愚行、アホ演出といっても過言じゃないよ。

それぐらい、この「金が集まらない」という障害は、後から振り返ると意味不明になってしまう演出だった。


なぜ目の敵にされるのか不明

貧しい村が起死回生の策として
「藩にお金を借りてもらう」
を考えついたわけでしょ。それに対して「相手にせず取り合わない」なら分かるが、「わざわざ圧力をかけたり、だまくらかして潰そうとする」藩の重臣の意味が分からない。

お前、そんなに暇か?
金を借りるのか、借りないのかだけ判断すればいいのに、特に恨みも何もない村を虐めて楽しんでやがる。
すごいサイコパスだっていう描写があるなら分かるが、そうでもない。
すごい恨みがあるのなら分かるが、そうでもない。
んじゃなに?なんで?

必然性が無さすぎて、全然気持ちが入らない。
「はぁ?なんで?」
だけ。出てくる感情は。
やはり視聴者を納得させるストーリー展開は必須なんだなぁとしみじみ感じる。

説明過多と説明不足

そもそも本当に貧しい村なのか?

見ていると、なんかだんだんと「本当に貧しいの?」って思ってしまう瞬間がいくつか出てきちゃうんだよね。
だからその気持ちを解消させてくれるような、本当に貧しいという説明が不足になってると思うのですよ。

これはですね、まぁ現実がそうだから仕方がないのだろうけども。
「 1000 両( 5000 貫文)」という大金を集める事ができた村は、果たして貧しいのか?
って思っちゃうって話。
半分ぐらいは、代々蓄財してた浅野屋が出したとしてもだよ、わずかな期間で 500 両集められるわけでしょ、ここの村人たちは。

それって、金持ちじゃね?
とても藩から申し付けられた人馬の費用負担に毎年ひーひー言うような額じゃあるめぇ。
つまり「このプロジェクトに出資して村を救おう、なんて言ってる商人共が実のところドギツくガメてっから村人が苦しんでるんじゃねぇのか!?」って疑念が頭について離れない。

まぁ毎年 100 両出すのと、1年限りで 500 両出すんじゃ話が違うでしょ、とも思うんだけどさ、それでも何か釈然としない。
せっかく映画にするんだから、なんかもう少しなかったんかと思うよ。
まぁでも「城下町に出稼ぎに行ってめっちゃ稼いだ」ってなると、その瞬間「じゃ毎年それでいいやんけ!」ってなるしな。難しいよね、苦労して金を集めたかという演出は。

村の経済規模と負担がどの程度の割合か分からない

映画内で最初に触れていなかったと思うが(後のほうになって、突然現在の貨幣価値に換算した値を字幕で出したりするんだが……)、この映画では 100 貫文= 600 万円という換算でやってるらしい。
なので 100 両(500貫文)は現在の貨幣価値にして 3000 万円ということになる。
毎年この村は 3000 万円払うので苦しい。
そこで、村中の私財をかき集めて、なんとか 1 億 5000 万円集めた!
うーん、ちょっと厳しいけど、なるほど、ギリギリ納得できるラインかもしれない。
でも、そうなると「貧しい村」と言いつつもみんなそれなりに貯金できてる村って感じが出てしまうかと。

であれば、やはりこの村の大体の経済規模、人口、村民の生業などを説明して貰えれば良かったかもしれない。そうしてくれていれば、俺も映画を見ながら納得できただろうね。
現在の貨幣価値に換算してどれぐらいキツいのかも含めて、私が理解できるような説明は入れられたはず。
というわけで、この辺は説明不足。

話の展開が遅すぎてかったるい

これは映画全体にかかわる話なんだけど、おしなべて説明が長い&過多。
おかげでテンポは悪いし飽きるし疲れるしイライラする。

まず、村民はどれぐらい貧しいのかとか、貧しいから揉め事が絶えないとか、そういう情緒的演出を序盤に入れすぎ。
本題にたどり着くまでにあくびが出まくった。よく寝なかったよ、俺は偉い。

で、いちいちカット割がかったるい。
遠い道のりを経て請願にいきました、っていうシーンでもね、なんていうかさー、たるい!

はぁはぁ……フラフラ……。
足を滑らせて転びそうになる(バラバラバラ……(小石の飛び散る音)。
だ、大丈夫か?
なんのこれしき!


なげーわ!
要らん。小学生の演劇じゃねーんだから。説明文以上に説明口調の演技いれんな、かったるい。

ここに限らず、もー引き延ばし&引き延ばし
うっすい話で尺を稼ごうと必死って見えちゃう。もしCMまたぎが許されるなら、喜んで映画の中にCMを入れ、跨いだ後に跨ぐ前の映像を3分間流した事だろう。
下手したら
「この後、浅野屋の口から衝撃のセリフが!!」
ってテロップ出し始めるぞ。劇場の客がつまんなさに呆れて帰らないようにな!

まぁとにかくかったるくて説明過多だった。

説明過多と説明不足ということは……?

簡単に言おう。
時間配分下手くそすぎィ!

もっと掘り下げたり膨らませたりすべき所をやらず、ただただどうでもいい事を膨らませてしまったこの監督。
なんていうか、映画作るのに向いてないと思う。
テレビの番組作ったほうがいいんじゃないかなぁ?その方が君のスキル活かせると思うぞ。
「どーでもいい事で繋いで繋いで尺を稼ぐ」
なんてうってつけだと思うんだが。


いくらなんでも気持ち悪すぎる浅野屋

浅野屋の自己犠牲がはじまる……

これは物語終盤に訪れる展開の事なんだけども。
浅野屋は途中から
「この村が救われるのであれば、私は犠牲となって構わない! アッラー・アクバル! アッラー・アクバル!」
という崇高な自己犠牲理論(もしくは無差別的テロリズム脳)を口から垂れ流し始める。

おやおや……なんか風向きが怪しくなってきたぞ、って思っていたんだ途中から。
「そんなに出したら浅野屋さん潰れちまうよ!」
「大丈夫、出させてくれ」
なんて感じの会話があってさ。
ド説明口調だし、なんだなんだぁー?先が読めるようなこの展開はぁー?って思うよね。

あれあれ?なんだこの話突然の「ある崇高な犠牲者となった商人の寓話」になったのか?とかうっすら感じつつも、まぁまだ結論は出てないわけだから大人しくしていようとね、うん、大人しく観てたよ。

自爆テロが明らかになる

藩に貸し付ける 1000 両まであと一歩というところまで来ました。あと 800 貫文、なんとかしなければならないため苦しんでいた時です。
造り酒屋だった浅野屋には、しかし杜氏の姿もなく、酒樽はすべて空になっていました。
そう、浅野屋はすでに廃業を余儀なくされていました……。

はぁ??

運転資金が無くなってキャッシュフロー回らなくなったからか、村のために借金こさえたか……。
まぁなんだか知らんけど潰れたらしいですわ。
なんの描写もないからなんでかは分からないけども。万策尽きたかどうかも見てる方は分からないまま。

事情説明して、従業員の給料待って貰えばいいんじゃないですかねぇ?
なんで潰れるのかサッパリ分からないから、ただちょっと待ってれば酒の売上入ってくるだろ、としか思えねぇ。

まぁそこは一歩譲ってどうしようもなかったとしよう。
村のために、自分のみならず従業員すべてを露頭に迷わせるという超自己犠牲精神&連帯責任理論の持ち主なんだと思うんだが、はたしてそこまでする価値のあることか?
果たして、地元の有力企業を潰してしまって本当にいいのだろうか?

浅野屋の年商を現在の貨幣価値から考えてみると……

浅野屋の年商がどれぐらいなのか、劇中では触れられることはなかった。
ちょっと想像を膨らませるために、どの程度の大きさの企業だったのか考えてみよう。

ドリームリンク、後継者不在の酒蔵を子会社化(日経新聞)

この記事を見ると、年間に清酒を 65000 リットル製造する酒蔵が年商 6000 万円とのこと。

お酒ができるまで | 金谷酒造店
このページによると、お酒はタンク 1 つで 60 日かかるらしい。

また、「江戸時代中期までは、一年中造られてしました」とも書かれているので、これを信じて一年中作っていたものとしよう。

最後の大桶職人が抱く「木桶文化」存続の焦燥 |東洋経済
こちらによると、木桶 1 つで 1800 リットルほど。

現役蔵人が語る。タンク1杯分のお酒は一升瓶何本分?
で、こちらによると「 1500 キロの白米に対して 2000 ~ 2500 リットルの水を加える」というのが普通な模様。
コイツを読み進めますと、これを合わせて 3500 リットルの醪(どぶろくのことらしい)ができるとのこと。
で、 3500 リットルの醪からは 3240 リットルの清酒ができるらしい。

なので、単純計算で木桶 1 つあたり 1666 リットルの清酒ができると計算できるね。

さーて、ようやく逆算する条件が整ったってワケですわ!
そこから逆算してみよう!

タンク(木桶) 1 つあたり、年間 9996 リットル製造できる。簡単に 10000 リットルできるとしましょう。
これで年商は単純計算 923 万円。

浅野屋にはタンク(木桶)が何個あるのか?
映画の描写をそのまま計算に使うのもいかがかと思うが、とりあえず描写に伴う規模感を出したいのでそのまま数えよう。

浅野屋の生産ライン
浅野屋の生産ライン


これを見る限り、7 個の木桶が確認できる。
つまり年商 6461 万円規模の企業だ。
年間 3000 万円を回避するために、年商 6500 万円の地元企業を潰す
これが村のためにならない事は明らかで、とてもとても美談とはならず「ただのバカ」で終わりだ。
酒蔵を守る方がよっぽど村人のためになる。なんせ年商のうち 2 割~ 3 割は人件費になるだろうから。

映画の描写だけども、演出として「視聴者がこれぐらいの規模の企業」だと受け取るのは自然な成り行きかと思う。
つまり、視聴者が「企業を潰すまで金出すのはやりすぎ、バカのすること」と思うのも自然な成り行きということになる。
結果、この脚本は大ズッコケだったと言っていい。

突然の新興宗教爆誕

それだけの愚かな行いをしていた浅野屋。
主人公も怒って浅野屋一門と話をすることに。
そこで浅野屋一門は、口々に
「衣類も家財も、すべて売り払うつもりで耐えておりました」
涙を流す番頭、恍惚の表情でたたずむ侍女。

「どうか、お金を出させてください」
「どうかお願いでございます」
一同土下座でひれ伏してお願いする。

洗脳済みの浅野屋一門のみなさん
ヒエッ……!
 

もうここまで来ると完全なる洗脳だ。
自分を痛めつけることが快楽に入れ替わってしまっている。自己犠牲によって天国に導かれると教え込まれた新興宗教と全く同じ理屈だ。

主人公がこう言う。
「わかりました、お金を受け取ります」
すると、浅野屋全員がウットリ、ニッコリ、恍惚、絶頂、昇天の顔。
「よかった、受け取ってもらえて」

はっきりいってヤバすぎる。
もう、うっとりとしている浅野屋の連中の顔がマトモに見られない。痛々しすぎる。
今すぐ精神病院に行って治療を開始しないといけないレベル。

結果、全然浅野屋の行為に感情移入もできなければヒロイックな感情を抱くこともできない。
ただただ、精神を病んでしまったヤバい人たちからケツの毛までむしったという感想しか出ない。

最後まで噛み合わない演出

結局最初と最後はナレーション

最初、文字とナレーションで説明した後、最後に「現在も穀田屋酒店は店が続いている」と言いながら、現代の映像が入る。
子供たちの笑い声を響かせながらエンディングに向かう……。

なんだ? NHK の歴史番組かなにか?
もうちょっと、こう……なんとかならんかったのか!

しかも最後エンディング曲が R.C.サクセションの「上を向いて歩こう」とかいうノーセンスの塊。
こんなもん、「へぇーすごい人がいたもんだねぇ」っていう趣旨のストーリーの後に合うわけねぇだろ。
なにが「アォゥ!ひとりぼっちのぉぅ!よるぅ!」だよ、うるせぇ!

何もかも噛み合わない駄作

エンディング曲の選び方も、ナレーションも、どこを説明して、どこを説明しないかも、なにが障害で、なにが味方なのかも、なぜ阿部サダヲで、なぜ瑛太なのかも、とにかく何もかもが噛み合わない駄作だという印象しか残らなかった。
もう少しまともな監督でこのテーマの映画を作れば、きっと気持ちよく涙を流して感動することができただろうなぁ。








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