【★5】Netflix映画「浅草キッド」~素晴らしきコントラスト、最高の演技!【感想】

2022/03/15

★5 映画ドラマ批評

寸評 ほし ★★★★★ (5/5)

監督劇団ひとりの、演技指導松村邦洋の、ビートたけし愛が画面からあふれ出てくる作品。
ビートたけしを演じた柳楽優弥も、とにかく素晴らしい演技。
ビートたけしの立志伝的なストーリーだが、結局は大泉洋演ずる深見千三郎を中心として話が構成されている。
深見の劇的でドラマチックな人生、先細りして見えない未来、浅草芸人の意地、そして最後のあまりにも規模の小さなカタルシス、大成功を収めたビートたけしとの対比。
そのすべての描き方が素敵で、心地よくて、涙して、笑える。
演技も演出も脚本も素晴らしいの一言。
ただ一点だけ惜しいなと思うのは、最後の現代シーンは蛇足だった感が否めない。

この映画の概要

詳しくは映画のサイトに譲るとして、ざっくりとね。ネタバレ注意ですよ。

ま、そもそも概要に入る前に一点だけ特筆したいことが。

とにかくビートたけしの演技がすごい

柳楽優弥演ずるビートたけしが、もう「若い頃のビートたけし」にしか見えない。
演技指導に松村邦洋をつけて、監督の劇団ひとりも大のビートたけしマニア。もうそこから溢れ出る「ビートたけし愛」を、柳楽優弥は一身に浴びて、それをキチンと演技の形にした。
憑依芸、ってぐらいすごかったよ

指導する側もすごいし、演じきる側もすごい。とにかくすごい演技。生き写しのような動きのせいで、スクリーンの中の昭和50年代までもがリアリティを増している。柳楽優弥の演技が、演出全体のクオリティを引き上げていると言っても、決して過言ではないよ。

と、まぁそれぐらい美辞麗句を並べたくなるほどに素晴らしい演技。 Netflix 入ってない人は、予告編だけでもいいから観るといいよ。

ビートたけしの立志伝……と思いきや

ビートたけしは当初、浅草フランス座でボーイの仕事をしているんだよね。で、深見千三郎に認められるために色々と努力をして、認められるワケ。

この時に必死になって取り組んだ芸がタップダンス。たけしはタップダンスの事を、後年に渡りずっと大事にしているよね。それは映画「座頭市」を観ずとも、彼のインタビューなどから漏れ聞こえてくる話。

で、ビートたけしは深見千三郎のコントに出演し、そこで実力をつけていくワケ。なんだかんだあって、ビートきよしから誘われて漫才をすることに。
深見千三郎は怒るけれど、ビートたけしは「この劇場で爆笑さらったところで、何にもならないじゃないですか」と言い放って出ていく顛末なのでございます。

時は漫才ブームで、その時流に乗ってツービートの漫才は大ヒット。一躍全国区のスターとなるんだよね。

物語は、一応ツービートの歴史を追いかける構成にはなっているんだ。けれど、映画の途中からツービートは「成功を収めた側」として、物語の中心からは徐々に外れていく。
代わりにフォーカスを集めるのが、ビートたけしの師匠である深見千三郎の方。

「幻の浅草芸人」深見千三郎の失意

ビートたけしの師匠である深見千三郎は、考え方を時代に合わせて変えることができないんだよね。
テレビの時代が来ているのに、テレビに出ようとしない。
漫才の時代が来ているのに、「漫才なんて、あんなもんは芸じゃない」と自分の劇場に取り入れようともしない。
ストリップもコントも「客に芸を見せるもの」という考えに固執する。

夢を追い、夢敗れる失意……

結果として、時代に取り残されてしまうんだわ。
コントをやり続けたくてこだわっていたのに、結果としてコントをやるための劇場、フランス座を失う。資金繰りが悪くなってね。

失意のどん底の深見千三郎。
自身は知り合いの工場で働き、嫁さんは芸者として働くことに。
周囲からは「売れなかった芸人」扱いされてバカにされる日々。切ない。すげー切ないよ。映画観ているこっちも胸を締め付けられるよ。

さらに追い打ちをかけるように、嫁さんが病気で死んじゃうんだよ。芸者仕事のために無理してお酒を飲んでたせいで体壊してね。
つまり、深見千三郎は「自分のせいで嫁さんが死んだ」と思っちゃうよね。

あまりに小さなカタルシス

そんな失意のどん底である深見千三郎を、ビートたけしは飲みに誘い出すワケ。
その飲み屋で、深見千三郎とビートたけしは即興の掛け合いを心から楽しむんだよね。その場に居合わせた客の爆笑をさらって、深見千三郎は何年ぶりかの「ステージ」を満喫するんだよ。

深見千三郎が本来やりたかった事から比べたら、あまりにも小さなステージ。今までのストレスから比べたら、あまりにも小さなカタルシス。
けれども、深見千三郎は心から満喫したんだよ。ホッとしたんだよ。楽しかったんだよね。

観ている私としても、めちゃくちゃほっこりしたよ。あー、社会的に成功はしなかったかもしれないけど、こういう生き方だって素晴らしいよな、とね。

ま、その直後に寝タバコによる火事で深見千三郎は死ぬんだけど。

この映画のテーマ

この映画、最初はビートたけしが主人公としてスタートして、途中から深見千三郎に視点が移っていく構成。
この映画で描かれているものは単純だけど、そのシンプルさ故に多くの人の心に共感を生むよね、ってカンジ。

深見千三郎の不器用な生き方

深見千三郎は、まぁさっきも書いたけども、社会の変化に適応することができなかったのよ。不器用なんだよねぇ。
実際、不器用な生き方している人って少なくないと思うんだよ。「今更他の仕事をイチから覚えるなんて無理」みたいな感じで、コツコツと同じ仕事をし続けちゃってるタイプの人、日本人には多いんじゃないかなぁ?

そういう部分で、共感する人は多いと思うんだな。

変化できないと取り残される。でも自分から変化することができない。
劇中の深見千三郎は、時代から取り残され、自分の希望からはどんどん離れた人生になっていった。
映画を観ている側の我々は、それを笑えるだろうか? 自分たちだって、なかなか変化することはできないんじゃないだろうか。深見千三郎は極端な例かもしれないが、大なり小なり人は「変化に対する心理的障壁」を持っているんじゃないだろうか。

でもね。じゃ変化する事だけが正しいのか、というとそうでもないよね。
社会的成功はできないかもしれない。
けれど、スジの通った生き方というのは「清廉な生き方」とも言えるんじゃないかな、と。なので、視聴者側には深見千三郎に対する「尊敬」も湧き出てくるんだよね。

「あそこまで自分を変えずに貫くことは、俺にはできないな」とかね。
変化を恐れる事に対する共感と、変化しなかった事に対する尊敬と。
その両方を、深見千三郎という像を通して描いたんだと思うのよ。

半共感、半尊敬

この映画で描かれているのは、一見相反する要素でありながらも、誰しもが心の中に抱えている部分。

変化するのは難しい。半分は深見千三郎に対する共感。
変化しないことを貫く清廉さ。半分は深見千三郎に対する尊敬。

「こう生きたい」「変化しなければいけない」その相反する要素を、誰しもが内面に抱えていると思うんだ。

深見千三郎を見てどう感じたか。
自分はどうすべきなのか。なにか教訓を深見千三郎から読みとけるか。

結論は人それぞれであって、唯一絶対の正解なんてのは無い。ただ、それを考えるキッカケとしては十分すぎるほど素晴らしい映画だったと思うよ。

最後の現代シーンは蛇足かも……

最後、ビートたけしそっくりにメイクした人が現代の浅草を歩く、みたいなシーンを入れているんだけれども、正直蛇足だったかな、と。

もし浅草のシーンを入れたいのならば、ビートたけし愛を爆発させた演出をてんこ盛りにして欲しかった。それを僕は期待しながら観てしまった。

私が観たかったのはさぁ、座頭市のタップダンスオマージュだねぇ。
現代のフランス座を歩くシーン、バックにはズラっと人が並ぶワケよ。そこに並んでいるのは、物語に登場したストリッパーやら窓口のおばちゃんやら。
そこをビートたけしが歩き始めると、太鼓が「ドドドドンッ!」っつってさ、座頭市のタップダンスが始まるワケよ!



最初から最後までやるとリズム感も悪いから、適当なところで切り取ってさ。途中から始まるでもいいわ。「あ、これ座頭市じゃん」って分かる人だけ分かればいい、みたいなさ。
露骨なオマージュで、少し安っぽくなってもいいよ。
ビートたけし愛に溢れた作品なんだから、最後に「ビートたけし最高!」って感じでドーン!と爆発してスパッと終わって欲しかったかなぁ、なんてね。

まぁそんな素人意見はさておき、とにかく素晴らしく出来のいい映画だったので観たほうがいいよ!

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