【★1】映画「JOKER」~極めて退屈でつまらない4つの理由【感想】

2019/10/31

★1 映画ドラマ批評

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寸評

ほし ★☆☆☆☆☆(1/6)
寸評 ただただ退屈な映画。「怪人 JOKER は、いかにして生まれたか」がテーマなんだけど、最後の最後になるまで JOKER の発露は無い。ただひたすら不幸な身の上の男の話を 2 時間弱観続けさせられる。これが途中から退屈で退屈で……。しかもオチも「なんだそりゃ」みたいな取ってつけたようなご都合主義で萎える。
ハッキリ言ってつまらない。
主役の怪演や映像演出は素敵だっただけに、実に勿体ない。

以下ネタバレしかないですよ。


怪人 JOKER に求めるモノ

まず最初に言っておくと、私はバットマンシリーズをほとんど観たことがない。唯一観たことがあるのが「バットマン・オリジナルムービー(1966)」だけ。バットマンは腹を抱えて爆笑した覚えしかない。

そんなワケで、ジョーカーというものもよく知らない。ただダイジェスト的に「『ダークナイト』のジョーカー」の動画を観たり聞いたりして、イメージはある。

神出鬼没の悪のカリスマ、バットマンと相対する存在。
奇抜な行動、ド肝を抜く悪事、しっかりと逃げられる作戦、明晰な頭脳。
悪事の目的は、金ではなく世間を驚かせたいという欲望。警察やバットマンへの挑戦、挑発。

そういう快楽的な犯罪者というイメージ。概ね世間一般と離れたイメージではないと思うんだけども。

こういうキレ者犯罪者の成り立ちを描く映画だというんだから、こりゃ期待しちゃうよね。
どのような奇抜なストーリーが用意されているのか、どんな逆転劇が用意されているのか、私はワクワクが止まらなかったよ。

1. 悪のカリスマが生まれた原因が「親からの愛情不足」って……

あのですねぇ、 JOKER というのは悪のカリスマなわけで、不世出の2つと並ぶ者なき大悪党なわけですよ。ね。
ある意味スーパーマンみたいなもんなの。

そのスーパーマンが生まれた理由が「親からの愛情が不足していたから」ってさぁ。
いくらなんだって理由として弱すぎるでしょ。そんなのが理由だったら、そこら中にJOKER誕生しまくっちゃうでしょ。
心に闇を抱える一因としてそれは有ってもいい。けれど、それ以外に「どういう能力、努力、素質によって悪のカリスマになれたのか?」が全く語られない、描かれない。
それじゃ JOKER とその他不幸な生い立ちの人々との違いは何? 説明がなければ観ている方が理解できない。

それまで凡庸な人生を歩んできた男が、突然心境の変化で大犯罪者になるっておかしくねぇかって話。
学もなく、技能もなく、ピエロの日雇いをやって日々過ごしている男がですよ。特になんの理由もなくですよ。ある日「俺は母親から虐待されていたんだ!」と知って、階段を転がり落ちるように悪のカリスマへ

悪のカリスマって、そんな簡単になれるもんなのか? それなら別に JOKER にカリスマ性を感じないんだけど。簡単になれるなら、カリスマなんて感じようがないよね。だって思い立ったら俺でもなれるってことでしょ?
悪とはいえ、そこには羨望なり憧憬なりを感じる要素が無いとカリスマ足り得ない。

つまり完全にストーリーが自己矛盾なんだよ。
思い立ったが吉日、ってノリで悪のカリスマにはなれない。絶対に。
なのにこの映画の JOKER はなっている
ここに圧倒的な押し付け感、理不尽感を感じてしまう。

それにさぁ、凡庸な男が覚醒するキッカケが「親の愛情不足」って。もう「 24 人のビリー・ミリガン」から何年経つよ? お前、まだ「そこ」なん? って話よ。
使い古されすぎた陳腐化した理由だけで覚醒されちゃ、そんな安上がりカリスマを持ち上げることはできんわ。

いっその事、何か持って生まれた超能力があって、それが覚醒したとか言ってくれた方がまだスッキリするわ。ウルトラ陳腐なヒーローものになるかもしれないが、それでもカリスマ性の皆無な悪のカリスマを誕生させるぐらいなら、そっちの方が随分マシだろう。

2.精神病という設定が最悪

なにより最悪なのは、 JOKER は精神病という設定。これは誰か止める人がいなかったのかと頭抱えるレベルで最悪
この設定では、ハッキリ言って感情移入できない。
「現実と妄想の区別がつかない」状態の人間に共感はできないでしょ、普通。

こういう設定したいなら、もっと他に描き方があったはず。観ている側は現実と妄想の区別はついてる人間なワケでしょ(たぶん)。だから、観客の代役が映画の中に居ればよかったのに。
たとえば「なぜか JOKER と若い頃から気が合う友達」を登場させておいて、途中までは JOKER 視点だけど JOKER が狂気を帯びてきたらその友達視点に転換するとかさぁ。
もっと観客の共感を得て、それでいて JOKER の狂気、恐怖をゾクッと感じさせる手は有っただろうに。

精神病の症状が進むごとに観客の没入度は下がっていく

前半 1 時間はね、まだ症状がそこまで顕著じゃなかったの。妄想に溺れることもなくて。
ただ「嫌な思いをした時に、なぜか笑いだしてしまい抑えられなくなる」という症状があるだけ。
だから、ここまでは良かった。とても良かった
病気の影響もあるのか、人とコミュニケーションとるのも苦手。特に優れたスキルがあるわけでもない。
それなら観客としても入り込めるんだよ。心の動きが想像できるから。どこかしら自己投影もできるしさ。
例えは悪いが、ニュースで被害者が涙を流してインタビューに答えているのを見て、共感しちゃって見ている自分まで泣いちゃうような感覚。

主役の怪演もあり、実に不幸な男が様々な不運から痛めつけられていく様が痛々しく、観ているコチラまで苦しくなっていくの。

そう、ちゃんと没入できてるんだよ、最初は。
具体的には、幼稚園に行って拳銃落として仕事クビになるまでは。俺はかなり没入してたよ。

それが、途中から段々雲行きが怪しくなっていく。
母親が自己愛性パーソナリティ障害だったと知って、自分が幼い頃から虐待されて育ってきたと気付いたあたりから。劇場でため息ついてしまうほどに退屈な展開へと転がっていく。
JOKER はショックによりスイッチが入ってしまったようで心のタガが外れてしまう。
「妄想と現実を混同しはじめる」のだけど、なんというか導入が露骨すぎるし急すぎる
もっと、なんというか「ファイトクラブ」のような、イカれていくステップアップ感があって欲しい。そうじゃないと観てる時に「あー、これ妄想だろ?」って気付いてしまう。

だってさ、それまではただの「カワイイ隣人女性」だったのに、突然ピンポンしてドア開けるなりディープキスだよ?
そんなワケねーじゃん。
仮に現実だとしたらこの女ヤバすぎるって思うよね。そうなるとこの女何考えてんだ?妄想じゃないとすれば、コイツがウルトラサイコパスで JOKER を操る側のヤツか?とか色々考えちゃうわけ。

まぁ結局はただの妄想で隣の女は無関係なんだけども。よっぽど隣の女が JOKER 誘導してる方がまだ没入感保てたけどね。
ま、しかしそうなると今度は JOKER のカリスマ性がますますゼロになっていく罠ではある。

結局「妄想かどうか?」を観客が逐一判断してしまう

とりあえずギリギリ悪のカリスマとしての地位を「妄想だった」ということで保った JOKER クン。
このアホみたいなディープキスのシーンから程なくして、なんのシーンだったか忘れたけど観客側に「妄想と現実の区別がついてない」と印象付けるシーンが入ってくるのね。
これでこの事実は周知されたと。

しかし主人公が「現実と妄想の区別がつかない」という事は、映画に致命的なダメージを与えるんだよね。

主人公の目の前で繰り広げられている出来事は、主人公は当然真実だと信じているんだけど、観客は信じる事ができない。だって「区別できないよ」って映画側から言われちゃったから。

こうなると、もうそれ以降主人公への感情移入はゼロ。もともと乏しくなっていた没入度が、晴れてゼロになる。
感情移入、没入の無い映像って「映画」じゃないんだよね。「説明」なの。
「精神に異常をきたした男が、なんか彼にしか分からない基準で暴れました」って具合のね。
ドキュメンタリーなら見たいかもしれんが、架空のキャラの説明文は魅力がなさすぎる。

なぜ「説明文」になってしまうのか?

映画を面白いと感じる時は、大なり小なり「その世界への没入」が有るはずなんだよ。
ちょっと「没入」って言葉の繰り返しになっちゃってるけども。
でも、そうなんだよ。

「プライベート・ライアン」なら、あの戦場の緊張感、あの分隊の雰囲気に。
「天空の城ラピュタ」なら、パズーとシータの巻き込まれ感、パズーの正義感、ドーラ一家の空気、ムスカの冷徹な瞳に。

観客はただの傍観者ではあるけれど、しかしその世界の空気を吸っているはずなんだよ。
映画館にいるけど、そこは映画館じゃない。
頭を上げたら死ぬかもしれない戦場だし、龍の巣の向こうにあるラピュタを信じて突っ込む飛行船のブリッジなんだよ。
観客に、今あなたは日本に居ますよって思い出させてはいけないんだよね、基本的には。

だけど、現実と妄想の区別がつかないと言われたらどうなる?
観客は、映画館のスクリーンの前にいる事を一瞬で思いだしてしまう。
で、「今このスクリーンで流れている映像は、この主人公の妄想なのかな?現実なのかな?」とか考え始めてしまう。
これは都合よすぎるから妄想だろうな……やっぱりな、とか。

もう、完全に映画の中の空気と観客が吸っている空気は別物。薄いスクリーン1枚に隔たれて、永遠にも似た距離がそこに生まれてしまう。

だから「主人公が精神病」という設定は最悪。
映画が説明文に変わってしまうから。


3. 途中から急にご都合主義展開が爆発

いくらなんでも、ご都合主義展開が多すぎる。それも途中から急に。
しかも最悪な事に、「主人公は現実と妄想の区別がつかない」と言われてから数々のご都合主義が炸裂していくんだよね。もう見てる方はズッコケまくり。
「妄想だと思ってたら真実なのかよ!」
ってね。

  • なんの実績もないつまらない男が突然コメディショウのステージに立てる
  • 「つまらなすぎる」とかいう理由でテレビに呼ばれる
  • なぜかテレビのスタジオに拳銃を持ち込める
  • なぜか精神病患者の妄言に貧民が呼応して暴動が起きる

この都合のいい話が連続して起きるもんだから、観ている方はずっと
「はいはい、妄想ね」
って思い、いつまで経っても妄想っていうネタバラしが来なくて、ズルズル続くもんだから
「え、現実だったの!?」
ってズッコケる。

いくら何でも展開の都合が良すぎる。
加えて「妄想かもしれない」というのがチラついて、主人公と一緒に喜ぶことができない。当然、一歩引いて観ちゃう。
両方の面から、まったく物語に入り込めない。

しかもテレビ局を出てから、ラストの展開までご都合主義炸裂。
  • なぜか暴動が起きている中、ウェイン一家は路地裏に歩いていく
  • なぜかウェインの息子(後のバットマン)だけは殺されない

いやー、なんていうか無理やりすぎねぇか? ほかのバットマンでこのシーンが出てたからって、無理くりそのシーン作ってもねぇ。
あの状況で、暴動が起きている町中に SP もつけずにウェイン一家が出ていくワケなかろう?
つまり後半はご都合主義の連続なんですわ。この展開は、さすがに着いていける人も少ないんじゃなかろうか。


4. JOKER が「悪のカリスマ」ではなく、ただのキッカケになってる

たまたま間違いで JOKER が起こしてしまった「地下鉄でのエリート 3 人殺害事件」が、ゴッサムの貧民たちの耳目を集めたよね。
ゴッサムの貧民たちは、自分たちを圧迫している上流階級の者たちへの鬱屈した思いを、その事件に重ねていってしまうワケよね。
で、結果的には "kill rich" (金持ちを殺せ)という社会的なムーブメントが発生していってたね。

ひとつ、この流れで大きく問題があるのは、誰一人として「 JOKER という個性」を支持していないってこと。
貧民は、ただ金持ちを殺した「名も知らぬ誰か」を勝手に神聖視しはじめていただけ。
テレビの生放送で人を殺した事が暴動のキッカケとなったが、彼の言った事が影響を与えたわけではない。
彼はテレビで「人を殺すのは良くないよ」と諭されて、それになんだか逆切れして諭してくれていた人を衝動的に殺すんだよね。
ゴッサムの貧民にだって、さすがにその行動が共感を呼ぶことはないんじゃないだろうか?

ここから推測できるのは、ゴッサムの貧民たちから JOKER  が「悪のカリスマ」と認識されていないということ。ただ暴動を始めたキッカケにすぎない。まぁ逆にいえば、暴動を始めるキッカケになったら神聖視されてる=悪のカリスマ、と言えるかもしれないが……。
しかし、それだと「押し出されたように悪のカリスマというポジションに落ち着いた」ということを観客は知っているわけで、観客は熱狂できない。

観客からも「悪のカリスマ」として認知されるタイミングがない

少なくとも映画を見ている観客には、共感を得られることはない。「間違いを諭され、言い返せなかったから殺す」という構図にしかなっておらず、さすがに共感できない。
しかも映画の観客は「地下鉄の 3 人殺しは、事故であってたまたま」ということを知っている。つまりあの 3 人殺しにイデオロギーは関係ない。だから、あの事件を軸に JOKER が神聖視されていくのを観客はすんなりと受け入れることもできない。

つまり JOKER は「悪のカリスマ」と呼ぶには、あまりにもカリスマ性が無いってことになる。
だって「たまたま起きた事故で神聖視された」だけなんだよ? まぁその流れに乗っかってテレビの生放送で殺人をしたので行って来いのトントンだって言えるかもしれないけども……。
背景を知っている観客は、なんかしっくり来ないよね。

まぁ JOKER 自身も「誰も自分の個性を見ているわけではない」という事は分かっているような描写されているけどね。
暴動のシーンでパトカーの中で浮かべる冷笑は、結局「俺の人生は喜劇だ」という再確認かのような笑いだったからね。

結論

JOKER は主役の怪演が素晴らしいが、設定とストーリー展開がクソすぎて単調・退屈な駄作だった。
実にもったいない。

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