10分で分かる「フェミニズム」とは何か?

2021/03/22

ディベート ニュース フェミニズム 政治


嫌われるフェミニストとフェミニズム

最近、たまに「偏狭なフェミニズム」がネットニュースのネタにされる事あるよね。
あれ、笑ってる方も擁護してる方も、どっちも「フェミニズムの本質」を知らずにコメントしてるように見えるんだよね、私には。

ただ分断を煽ってね、なにも建設的じゃない。まずフェミニズムが何を目指しているのか、共有しなきりゃ話にならないでしょう。

というワケで、今回のエントリは「フェミニズムの本質」について書いていきます。

フェミニズムの本質

まず結論から。

フェミニズムとは

フェミニズムとは、以下を目指す考え方。
「雇用機会、雇用条件が男女平等であること」

すべてのフェミニズムは、必ずココに帰結します。断言。言い切ります。
フェミニストの妄言と思われる言葉も、よくよく解釈すれば「雇用の男女平等」に繋がってくる話だったりするんだよね。

「何を根拠に断言しておるのか」と思うかもしれないね。なので、順を追って説明します。
まず「雇用の男女平等」について。次に「フェミニストの主張は、どのように雇用に関係するのか?」について。

フェミニズムの源流

現代フェミニズムの源流は1960年代のウーマンリブ運動にあります。
その運動での主眼が「雇用の男女平等」でありますから、現代フェミニズムでもソコが主眼であり続けます。

ま、かしこまって言うことでもないんだけど。

「雇用の男女平等」とは

日本で「男女平等」と聞くと、大半の人がイメージするのが「男尊女卑の廃絶」なんじゃないかな。
たとえば「相続は『長男』が行う」とか「参政権は30歳以上の『男子』に与える」とか、そういうヤツね。
こういうのを無くすこと、不当な差別を無くす事、というのが日本人の抱く「男女平等」だと思うの。

これは間違いではないけれど、それだけじゃ足りない。
先進国の言ってる「男女平等」は、そのさらに一歩先を言ってる。

先進国の言う「男女平等」

現代の「男女平等」は「男女が仕事の能力によってのみ評価される」ことが目標なのよ。
日本人には、この感覚が圧倒的に足りてないと思うんだ。

たとえば日本では未だに平気で「同期の男と女では、男の方が出世が早くて給料もいい」なんてことがおきている。
会社からすれば「だって女だと結婚して辞めたり、産休や育休で仕事に穴が空いたりするから、重要なポスト任せにくい」という理由があるの。
だけど、それって女性側から考えたら理不尽だよね。女に生まれただけで、一生を通じて給料は安くなる。ポストにも恵まれない。そもそも好きな仕事に就けない。

これって、男女の雇用機会が均等だとは言えないよね。
「女=安月給」これが生まれながらに決定するのって、差別だよね。
これを是正したいよね。
企業側にも理由があるだろうから、社会制度でその辺をバランス取っていこうね。

これが、先進国の言う「男女平等」なんだよ。
ここを誤解しちゃってるとフェミニズムの本質にたどり着かないのよ。で、大概の場合、ココが誤解されてる。

放っておいたら、女性は雇用条件で不利になるワケ。だから、法律などで保護しましょう、と。法律で保護して、企業はちゃんと男女平等に雇う世界を作りましょう、とね。
労働基準法が無ければ、ブラック企業だらけになるのと一緒だよね。

ただし男女平等は効率が悪い

で、これも忘れちゃいけない要素の1つ。
男女平等は、効率悪いです。
でも、女性を不当に扱って得る効率って文化的じゃないよね、ってことで「効率が落ちても男女平等にすべき」だと先進国は考えてます。

たとえば奴隷に綿花摘ませたら効率いいよね。
たとえば12才の子供を安月給で1日12時間働かせたら効率いいよね。
でも、それ奴隷や子供の犠牲のもとに成り立ってる効率だよね。文化的じゃないよね。
だから禁止しよう。
それと同じコト言ってるワケね。

たださぁ、日本に限らず「男は仕事、女は家事育児」というセンスで生きてきたじゃん、人類って。つい30年ぐらい前までは、世界中そうだったよね。
だからそれを変えていくのは大変。
大変なのは知ってるけど、先進国は「第2の奴隷解放宣言」だと思って熱意持って取り組んでるワケですね、はい。

雇用の男女平等をまとめると

簡単に「雇用の男女平等」をまとめると以下。
  • 女にも男と同じ給料払え
  • 社会制度化して不適切な雇用を取り締まれ
う~ん、実にシンプル。

フェミニストの主張は、どのように雇用に関係するのか?

さて、ここまで「フェミニズムとは雇用の男女平等を求めるものである」として、そのうち「雇用の男女平等とは」を触れたよね。
で、残る疑問は「フェミニストの言ってるトンチキで意味不明な主張が、いかに雇用の話とつながるのか?」って部分だね。

具体例を交えて話した方がいいよね。よく目にした話題としては、以下のような物かな。

  • フェミニズム初級編
    「看護婦」は差別だから「看護師」に変えろ
  • フェミニズム中級編
    「お母さん食堂」というネーミングは差別
  • フェミニズム中級編
    イチローの「おにぎり」発言は差別
  • フェミニズム上級編
    女子の制服にスカートを強要するのは差別

これら、全部雇用に繋がるんだよ、とか急に言われてもピンと来ないよね。
1つずつ補足するわ。

フェミニズム初級編 「看護婦」は差別だから「看護師」に変えろ

まず女性を取り巻く雇用情勢の説明から。
  • 男性が仕事をするのは当たり前、どんな職業でも就ける。
  • 女性が仕事をするのは「限定的な職業」のみ。
このようなイメージを持たれていた時代があったワケよ、それもかなり長い間。
つまり職業の名前に女性の意味合いを持たせるのは「この仕事は女性が『してもいい』仕事」と解釈できてしまう。
裏を返すと、それ以外の仕事はダメという意味になる。

「女性職」呼称は不平等を招く。
よって、名前変更すべきだ、という主張ね。

フェミニズム中級編 「お母さん食堂」というネーミングは差別

これ、一時ツイフェミ界隈を中心にかなり炎上してたよね~。
僕は率直に「こりゃ女性差別的な表現だよな」と感じたけどね。なんかそうは感じない人が多かったみたいね。

このネーミング、明確に「お母さん=食事作る人」という既存価値観の上に乗っかった表現だよね。
「お母さんが、コレよく作ってくれたなぁ」なんてノスタルジーを語感に乗っけてるワケでしょ。
もし仮に、お父さんの方が食事作ってくれてる社会ならばどうでしょうね?
ノスタルジー感じる前に「なんでお母さんだけ?」って疑問が沸くでしょ。

多数の「お母さん」が「食事を作る」という社会を前提としてなければ、この言葉は生まれないワケね。だって人々のノスタルジーに訴えかけられないから。

「女性は結婚したら家事育児に専念」という既存価値観を肯定してしまうと、女性は雇用条件面で不利になる。

よって、「お母さん食堂」は差別的な表現。名称変更すべきだ、という主張。

フェミニズム中級編 イチローの「おにぎり」発言は差別

イチローが引退の時に以下のような事を言ったら、ツイフェミ界隈で差別的だと叩かれてたんだけども。

『(ホームゲーム前に、妻が握ってくれたおにぎりを食べる)その数が2800くらいなんですよ。3000行きたかったですね。そこは3000個握らせたかったなと思います』

これも「お母さん食堂」と同じ理由。
女性が食事を用意するのを当たり前とする社会の肯定と取れるからね。

「握らせたかった」が特に既存価値観の押し付けを強くイメージさせる言葉だったから騒いでいたのかなぁ、というのは個人的な感想。

フェミニズム上級編 女子の制服にスカートを強要するのは差別

これは、雇用面から考えるのは上級編。途中で「えっ、なんで?」と思考が途切れるかもしれないが、しっかり付いてきて!

そもそも、なんで男女で制服を変える必要あるんだっけ?
学校の制服の目的は、女子専用の服でなければ達成できないんでしたっけ?
そんなことは無いはず。規律を求めているならば、別に男子女子同じ制服でも困らないでしょう。

なぜ男女で制服を分けるのか? そう考えると、男女で制服を分けるという行為が「既存価値観における『女性らしさ』の押し付け」という意味が残ってしまうよね。
女性らしさというのは、身体的な特徴ではなくて、考え方、社会での立ち位置の話ね。

女性はスカートを履く。女性は化粧をする。女性はオシャレが好き。女性は自分をキレイに見せたい。
これらに興味がない人を見つけると「あの人はオンナ捨ててるね」と言われる社会。
つまり社会が「オンナはこうあるべき」と定めている。

そして、この話の一番理解されにくいポイントは「現代の女性自らが『女性らしい』とされている行為をしたがっていたとしても、それは『女性差別』となる」という点だよね。
パッと聞くと違和感があるかもしれない。「女性がしたがっていることをして、なんで『女性差別』になるんだ」と思うかもしれない。

けれどその「女性らしい」を求めているのは、既存の価値観なんだよね。
既存の価値観というのは、すなわち男性社会の求めたソレであり、延長線上に必ず「女性は家事育児に専念すべき」が登場するんだよね。「女らしい」という言葉の奥に、「いいお嫁さんになるよ」「いいお母さんになれるね」というような言葉がユラユラ揺らめいて見えないだろうか?
その既存価値観を受け入れるわけにはいかない。雇用の男女平等が成し遂げられないから。
「オンナはこういう格好をするべきだ」という決めつけを許してはならない。

よって、女子の制服にスカートを強制するのは差別だ、という主張。

※なお、近年女子制服にスラックスを導入している学校も多数ある。
 男女差別、ジェンダーフリー、痴漢被害抑止など、理由は様々。

フェミニストは、結局誰と戦っているのか?

ここまで書いてきたことを、一旦まとめますね。
  1. フェミニズムは雇用の男女平等を目指す考え方
  2. 雇用の男女平等は効率が悪いが、文化的
  3. フェミニズムの妨げになる既存価値観(女は家事育児など)は断固反対
簡単にまとめると、この 3 行ね。
とどのつまり、フェミニストは「既存価値観」と戦わないといけないってことになりますね。

「既存価値観と戦う」とは?

「既存価値観」って、つまり言葉を変えれば「今の常識」「今の当たり前」ってことね。
これと戦うんだってさ。

コレ、他人からどう見える?
社会通念、常識、そんなモノにケチつけて歩く人だよ。
どう考えても変なヤツだよね。

しかも「既存の価値観を肯定する女性」がいた場合、それは「女性差別を助長する女性」ということになるワケよ。「フェミニズム上級編 女子の制服にスカートを強要するのは差別」で少し触れた事の繰り返しになるけれども。
女に対して「あなた女性差別してますよ!」って言って回るヤツがいたら、どう思うよ? ただただヤベーヤツじゃん。
黒人に対して「あなたは黒人差別してます!」って言ってるヤツ、見た事あるか? ねぇだろ? でもフェミニズムなら、その構図が有りえるんだよ。

フェミニズムの本質を理解しないと、そのバイアスがかかった目でフェミニストを見ることになるのね。で、結局何言っても「ヤベーやつがヤベーこと言ってらwwww」で終わりなの。
でも、本質を理解すると、かなり雄大な「雇用の男女平等」を目指す理屈だと分かるわけ。
男女住み分けの価値観というのは、それこそ人類の有史以来連綿と続いてきた歴史。これをどうやって雇用の男女平等に近づけていくのか。なかなか面白いテーマであるハズなんだよね。

でも実際はバカばっかりだから浸透しない

で、最後にハシゴを盛大に外すけれども。
フェミニズムというのは大変崇高な、第二の奴隷解放宣言を目指す運動なんだよね。雇用の男女平等をいかに実現するか、相当遠い位置にあるゴール目指してできる事から一歩ずつやっていかねばならない。すごく時間がかかるだろうけど、根気よくやっていかねばならない考え方なのね。
だから、相当やり方を考えないといけないんだよ。

でもさ、日本でフェミニストと自称する人たちはバカばっかりなんだ。残念ながら。これじゃいつまで経っても雇用の男女平等なんて訪れるワケがないよね、って思っちゃう。いや、下手したら世界的にもフェミニストを自称する人はバカばっかりかもしれない。
なんか無意味な空論とか、現実性の乏しい変革案とかを繰り出すばっかりでさ。
「フェミニズム上級編」のような、すぐに人に理解されないような理屈を「これが常識です」なんて言い張るだけで説明をサボったりとかさ。
ま、とにかくフェミニズムを理解してもらおうっていうつもりが無いんだよ。

イデオロギーを信奉しているくせに、イデオロギーを浸透させることを疎かにする。意味不明な人たちなんですよね、ハイ。

まとめ

ま、そういうワケでフェミニズムが浸透する日は来ないでしょう。残念ですね。少しでも女性が働きやすい世の中になったらいいなと、うすぼんやり願っておきます。
僕にできることなんて、それぐらいなので。

あと、せめてこれを読んだ人が「フェミニズムってそういう事かぁ、少し見る目変わったなぁ」なんて思ってくれたらうれしいです。

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