【★4】攻殻機動隊 SAC_2045 シーズン2で奇跡の復活【感想】

2022/07/06

★4 映画ドラマ批評

©士郎正宗・Production I.G/講談社・攻殻機動隊2045製作委員会 | ©Shirow Masamune, Production I.G/KODANSHA/GITS2045
寸評 ほし ★★★★☆ (4/5)

奇跡的。まさに奇跡的に面白くなった。シーズン 1 から比べると、一気にシーズン 2 は「攻殻機動隊っぽく」なった。
シーズン 1 で挙げていた不満はすべて解消され、キチンとメインテーマを掲げたストーリーへと変貌した。あまりに面白かったので一気に観てしまった。
各キャラの個性はよく表現されていた方だと思うし、何より江崎プリンの収め方が秀逸だった。

シーズン 1 の体たらくと、シーズン 2 の頑張り

SAC_2045 シーズン 2 が Netflix で 2022/05/23 から配信開始となったので、全部観ました。シーズン 1 がダメダメだったのに、シーズン 2 で立て直してきて、なかなか面白く出来上がっていました。スタッフのすごい頑張りだなぁと思いましたよ!

最大限褒めたいのでネタバレしまくりで書いていきます。これ以降は、それを承知の上でお読みください。

というわけで、シーズン 2 の感想を書く前に、シーズン 1 の感想を少し駆け足で振り返りましょう!

陳腐を極めたシーズン 1

攻殻機動隊 SAC_2045 のシーズン 1 の出来は、相当悪かった。わたしゃ相当怒りを感じたよ。怒りの勢いで 4 つの理由と共にシーズン 1 をボロクソに書いたよ。

前回は結びで「シーズン 2 はまともに作って欲しい」と結んだけども、正直期待してなかったよ。だってここまでシーズン 1 がダメダメじゃーさ、シーズン 2 で持ち直すなんて、まぁまず無理じゃん。

奇跡的に復活したシーズン 2

だけど、その私の想像を見事に良い方に裏切って、シーズン 2 は見事にまとまった話になっていた。
すごーくスタッフの熱意を感じたね。それを感じられて、私も嬉しかったよ。よかったー、まともな話にしてくれて~!ってね。

ま、多少はね、うまく風呂敷をたためなかった部分はあったと思うけれども。細かいことは気にしないようにしようじゃないか。
というわけで、シーズン 2 で何が良かったのかを振り返ってみよう。

シーズン 1 がダメだった理由 4 つは、シーズン 2 でどう修正されたか?

前述の通り、シーズン 1 はダメダメだった。理由は 4 つ。詳しくは前回エントリを参照してくださいね。

  1. テーマが無い!
    ストーリーの幹となるテーマが存在していない。
  2. 必然性のないストーリー展開
    世界的な問題であり、軍隊が対処すべき。公安9課である必要性がない。
  3. バトルアニメなのに敵の設定がガバガバ
    ポストヒューマンの強さ表現がインフレ。しかし、いざとなるとご都合主義で弱くなったりする。
  4. (おまけ)余計なものを足す
    江崎プリンが電脳戦要員で追加され、さらにフィールドワークもするから他のメンバーの魅力をスポイルしている。

シーズン 2 では、これら問題のある 4 つをうまく視聴者に伝わるように修正してきた。それが実に「良い感じ」だったので、簡単に結論だけ触れていこう。

シーズン 2 の「テーマ」

シーズン 1 では「ポスト・ヒューマンが自然発生的に生まれてきた」「とにかく倒さないといけない」という、なんとも意味希薄な陳腐なストーリー展開が繰り広げられていた。
シーズン 2 では「ポスト・ヒューマンが誕生する原因」に言及した。アメリカ CIA が作成した AI によるグレート・リセット行動。これは、つまりタイトル「2045」にも込められている「シンギュラリティ(技術的特異点)」へのストーリー的帰結を意味するワケですな。
シーズン 1 では「ポスト・ヒューマン」と「シンギュラリティ」の関連をまったく描いていなかったけれど、シーズン 2 の中で物語を組み直して筋が通るようにした。

本当に素晴らしいリカバリーだと思う。

シーズン 2 の「必然性」

ポスト・ヒューマンのようなスーパー・パワーが世界的に同時発生しているのでは、もはや公安 9 課の出番ではなく、軍隊が対処するだろう、というのがシーズン 1 の感想。
それに対してシーズン 2 では、首相直属である公安 9 課が日本国内事情のために活動するストーリーになっており、彼らが活動することに必然性がある。ストーリー上、米軍と対立構造になっているため、自衛軍(日本軍)が動きづらいという事情も滲ませており、抵抗なく受け入れられる。
本当に素晴らしいリカバリーだと思う。

シーズン 2 の「バトルアニメ設定」

そもそもシーズン 2 は「単純なバトルアニメ」ではなくなっている。キチンとテーマが設定され、それに沿ってストーリーも進む。単純明快なバトルアニメではない。
しかしながら、バトルアニメであろうが無かろうが、視聴者にとって分かりやすい「ボスキャラ」は必要だ。人形遣い、笑い男、クゼ……攻殻機動隊でも、同様にボスキャラは設定されてきている。
シーズン 2 では、同様に明確に「強力な個体」を 2 体、ボスキャラとして設定した。
シマムラ・タカシとミズカネ・スズカ。

その 2 体のうちの 1 体、シマムラ・タカシはインフラ構築に全力を出している設定とした。もう 1 体、ミズカネ・スズカを実力行使担当とした。
ミズカネ・スズカは猛烈な演算速度により銃の着弾点を予測して回避できるという設定を踏襲。しかしながら、「自然発生的に増えていく」という設定をさり気なく捨て、この 2 体が 1A84 の中枢であるというイメージを数話かけて固めた。
そして、ボスであるミズカネ・スズカを相手に CIA、米軍、そして公安 9 課と次々とバトルする展開としたため、強さのインフレもしない。

実によくできたリカバリーだと思う。

シーズン 2 の江崎プリン

シーズン 1 では目障りで邪魔で他のメンバーの魅力をスポイルするためだけに存在していた江崎プリンだが、シーズン 2 では明確な役割を与えられた。
ポスト・ヒューマン化するウイルスに感染し、そして死ぬ。
明確! 実に明確な解決策。邪魔なキャラを殺して、特別な立ち位置を与える。
特別な立ち位置のおかげで、他の公安 9 課のキャラクター性をスポイルすることも無くなった。
実によくできたリカバリーだと思う。

シーズン 2 で語られた事

では、全般的にシーズン 2 で語られた事を書いていこう。

アメリカ CIA により作られた AI

「ポスト・ヒューマン」が発生するきっかけが明らかにされる。
アメリカ CIA により作られた AI 「 1A84 」が発端となる。最初は、これは「人類の恒久的繁栄」を得るための方法を模索するために作られた AI だった。
CIA は 1A84 に対して、恒久的繁栄を得る手段を質問する。そして 1A84 は答えを出す。

相反する「国益」と「人類の恒久的繁栄」

しかし 1A84 が出した答えは、アメリカの国益に叶うものではなかった。答えは否決される。「その答えは否決される」というパラメータを追加した上で、再度答えを求められる 1A84。
再度答えを出し、再度否決される。それを幾度となく繰り返した後、 1A84 は「国家の消失」によって人類が繁栄できると答えを出した。
結果的に 1A84 が「全世界同時デフォルト」を引き起こし、人類は「サステイナブル・ウォー」に突入することとなった。

1A84 は、この結論を出したことにより自身が削除される可能性を考慮し、自らネットの中に潜伏する。

つまり、シンギュラリティにより AI が人類の能力を上回って「サステイナブル・ウォー」に突入した、と言い換えることもできる。

と、ここまでは小説「1984」のような展開なんだけど、 SAC_2045 では AI の考え方が違った。

シンギュラリティと人類の進化

SAC_2045 における AI の判断は、なかなか面白い。
「人類の恒久的繁栄には、人類の進化が不可欠」とした。これを超極端に言うと、人類は以下のような生活を送るべきということ。

  • 高効率、低浪費、地球環境保全に尽くした「クソつまらない現実世界」を生きる
  • 人類の幸福を満たすために、各自の頭の中に「超楽しい理想世界」を作り、そこでも生きる
  • 人類は「現実世界」を意識することなく「理想世界」の中でのみ意識を持ち、幸せに過ごす

これが SAC_2045 の AI が導き出した「人類の恒久的繁栄」の答えだった。

これを劇中では「ダブルシンク」と表現している。また、ダブルシンク状態の人類を「 N 」と表現している。

N = 進化

ダブルシンクするため、人類は各自の電脳に 1A84 をインストールして仮想世界を作成する必要がある(詳細は「考察」参照)。

ポスト・ヒューマンは、人類進化のためのキーとして働く。「 N ネット」という P2P ネットワーク内で、スーパーノード的な立ち居振る舞いをすることとなる。
人類を進化させるために、一人ひとりの電脳をいちいちハックするなんていう面倒なことはしない。それでは、時間がかかりすぎるし、人類が対処する時間を与えてしまう。
まずは「郷愁ウイルス(実態は 1A84 )」に感染させる。そして自ら「理想の世界」を想像させ、その状態で「 N ネット」に接続させる。するとスーパーノードであるポスト・ヒューマンからの情報を受け入れ、想像していた「理想の世界」を電脳内の 1A84 内で起動させる。結果として、ダブルシンク状態に遷移して N となる。

ポスト・ヒューマンは、 N になることを「進化」と定義した。当初の目的どおり人類は 1A84 を電脳内に取り込み、ほぼ全員が「進化」した。
草薙素子を除いて。

良かったポイント

さてはて、あらすじは前述した通りなのだけれど。私が見ていて楽しかった部分を書いていこうかなと。

タイトルの回収(シンギュラリティ)

とにかくシーズン 1 では何も語られなかったシンギュラリティをメインテーマとして持ってきたのが良かった。
タイトルに「 2045 」ってつけながら( 2045 年はシンギュラリティが起きると言われている年のこと)、一切ポスト・ヒューマンとシンギュラリティについて関連性を語らないまま終わってしまったシーズン 1 とは、一体なんだったのか。
さてそのシンギュラリティなんだけども「 AI がより良い世界を求めて人類を滅ぼす」というストーリー展開は、今となっては使い古されてるよね。SAC_2045 で、より独自性があると思えるのは「 AI は人類の敵ではない」という点だよね。これのおかげで、ただの焼き直しにはなってないと思う。

たとえばマトリックス。機械 (AI) は人類を道具のように扱おうとする敵なんだよね。それといかにして戦うか、という映画。

SAC_2045 は、 AI は敵ではなく、あくまで「人類の恒久的繁栄」を目指している。問題は、その「繁栄」の定義。「人類は頭の中の仮想世界で、摩擦なく、面白おかしく過ごす」ということが「幸せ・繁栄」である、と結論しているわけだけども。

これ、ファースト・インプレッションで言えば「そんなひどいこと、されてたまるか!」と思うかもしれないけど、本当にひどいだろうか?
「つまらない現実生活を送りつつも無意識。頭の中では超ハッピー」という状態は、人類の最大幸福ではないと言い切れるだろうか? そんな哲学的な問いかけをされている感じがして、このテーマ、この問いかけはとっても良かった。

そして、最後のオチは分かりやすいハッピーエンドではなく、草薙素子は「 AI の考える人類の進化」を受け入れ、人類がすべて N になった世界を選択した、という点ね(詳しくは「考察」参照)。すっごいグッとくる。ん~、いいねぇ!草薙素子っぽい選択だねぇ!

アメリカ海兵隊の強さと、公安9課の局地戦の強さ

海兵隊が東京で作戦行動を取るんだけど、たかだか 1 個小隊でやってくる。それが逆に、海兵隊がめちゃくちゃ強いということの証左でもあるよね。隠密行動は最小限の人数でやりたいのは当然のこと。ポスト・ヒューマンの偵察は 1 個小隊程度で十分、という描き方がされていてよかった。
そうそう、こういう考え方ができるのがこのアニメの良いところだよね、うんうん。

あと、このアニメ見ている以上公安 9 課を応援するわけだけど、野放図な強さで描かれていないのも良いね。サイトーのスナイピングも、バトー・少佐の水路探索も、かなり条件が限定された中での局地戦。その局地戦で工夫を重ねて結果として強い、っていうのがやっぱり個の強さを上手に表していてイイなぁと思うわけですよ。

なのでキャラクターの魅力◎なのです。シーズン 1 とは大違い。

考察

SAC_2045 のシーズン 2 は、色々と難解な言い回しやらストーリー展開やらで、自分なりの考察を書きたくなるアニメだったね。というわけで、自己満足も兼ねて考察を書いておきまっする。

ポスト・ヒューマンの作るダブルシンクとは?

マトリックスの世界は、いうなればメタバース的世界。バーチャルな世界が 1 つあり、人間はその世界にネットワーク接続している。つまりバーチャル世界でのやり取りは、人間同士の相互作用。ホスト側(つまり機械側)は、クライアント同時接続数を担保すればよい。

「マトリックス」的仮想世界

一方シマムラ・タカシが作成する N は、バーチャルな世界が 1 つではない。極論すると、 1 人 1 世界。世界の住人のうち、ちゃんと人間が操作しているのは本人だけで、本人以外の人物は NPC 的な存在。 AI が操作していると考えられる。

そうでないと、人によって世界で起きた事象が異なるという説明ができない。

さて、ではシマムラ・タカシが圧倒的処理速度でもって、同時に 300 万の世界を並行して処理したのだろうか? おそらくそうではない。
いくらポスト・ヒューマンとはいえ、処理能力に限界はあるだろう。
その解決策として、各個人の電脳にインストールされた 1A84 がクライアント内で独立して世界を構築しているのだろう。人間は、自分の電脳内に存在する 1A84 サーバーに localhost 接続してダブルシンクしていると想像できる。

ダブルシンク世界

そして、シマムラ・タカシは 1A84 のバックドアを知っていて、個々人の中の 1A84 の設定を都合よく書き換えることが可能なのだろう。
だからこそ、シマムラ・タカシとの戦闘で「物が高速で飛んでくる幻影」を見させられている。

つまり「 N ネット」は P2P ネットワークであり、ポスト・ヒューマンは P2P ネットワーク内のスーパーノード的な役割だと言える。

ポスト・ヒューマンは Supernode 的役割

ラストで少佐はシマムラ・タカシのケーブルを抜いたか?

少佐はケーブルを抜いていない。すべての人類は N になった。これにより人類は「進化」し、 AI よりも人類の能力の方が再び高まった。
それはラスト間際での少佐のセリフ「人類が再び技術的特異点を迎えた時」という表現からも明らか。 2045 年に訪れたシンギュラリティは、人類側が進化したことによって解消された。さらなる AI の進化によって、再びシンギュラリティが訪れる可能性を、少佐のセリフは示唆している。

少佐が N にならなかった理由

「あなたは稀なロマン派なので、現実と夢の違いがほとんどありません」とタカシに言われている。

これは、ダブルシンク化させる郷愁ウイルスの発症条件と言い換えることもできる。
即ち「こうであればいいのに」という人間の欲望が発症の条件。その差があまりに無かったために、少佐は発症しなかった。つまり「理想的なイマジナリー世界」を空想しなかった。この空想した世界こそが、その個人の生きるダブルシンクであり、摩擦なき世界であると言える。
そりゃそうだ、自分の理想郷なんだから。

トグサくんはヒーロー願望が強すぎる

トグサは N になったのに、ダブルシンクの世界で死にかけた。
自分の理想郷で死にかけるなんて、トグサは映画の観すぎな気がする。
シマムラ・タカシが、わざわざトグサをダブルシンク世界において幻想で殺す、とも思えないので、彼のヒーロー願望が作った世界だろう。
そうなると、トグサは自分の頭の中にいる少佐によって幻想を中断し、 1A84 との接続を解除している。どれだけ少佐に対する想いが強いのかを再認識することができる。
他に自力で 1A84 との接続を解除して現実世界に返ってきている人間はいないので、彼の精神力はやはり公安 9 課随一と言ってもいいかもしれない。

たたみきれなかった風呂敷

あまりにシーズン 1 の出来が悪かった影響もあってか、たたみきれていない風呂敷も散見されたね。気付いたものを、一応書いておこうかな。

1A84 が全世界同時デフォルトをおこした?

全世界同時デフォルトも 1A84 のせいということになっているが、それだとすると N を構築するまでの期間が空きすぎている。なんか時系列が微妙じゃね? って気がする。

ポスト・ヒューマンの数を増やさない理由がない

なぜミズカネ・スズカ級の実戦担当個体をたくさん作らなかったのだろうか。たくさん作れば計画通りにできただろうに。 1A84 のインストールによってポスト・ヒューマンになるのであれば、いくらでも個体を増やせたハズ。
それに、序盤で倒されたポスト・ヒューマンも 1A84 の発症だとすると、必要だからポスト・ヒューマン化したわけでしょ。ということは、欠員は補充するのが当たり前では。
欠員が出たら出たまんまにしておく意味が分からない。

なぜボスが 2 名とも日本人?

なぜシマムラ・タカシとミズカネ・スズカ、どちらも日本人なのだろう?
舞台を日本にしたいがためのご都合主義に見える。日本でなければならない必然性に欠ける。

「Nぽ」の定義とは?

トグサは、おそらくダブルシンク世界で捕まっていた。つまりトグサはダブルシンクできている人間ってことで「Nぽ」ではないのでは?

ダブルシンクである自覚が無いまま N ネットに接続しているから?
しかし、そうなるとラスト間際の少佐とシマムラ・タカシの会話と矛盾がある。

少佐「それが起きた時、人は自身の身に起きた進化を認識することすらできない?」
シマムラ・タカシ「はい、喜ばしきことに」

ダブルシンクしている事を、 N 自身が自覚はできないようなのだが……。
正直、東京の屋台や「 N ぽ」、あとトグサを助けてくれた運動神経バツグン女の子が出てきた意味、あの辺の話は曖昧なまま勢いで押し切った感じは否めない。

数々のオマージュが露骨すぎる

小説「 1984 」は当然として、沈黙の艦隊、マトリックス、攻殻機動隊シリーズ過去作品などへのオマージュが入っていたが、ちょっと露骨すぎた。もう少しひねったら良かったのに。

制作側の問題か、私の問題か……

今回、シーズン 1 が「ひどい出来だ」と思ったのは、制作側の問題なのか、それとも私の問題なのか……。
いや、私の問題ではないと強く願ってはいるのだけれど。

なぜこんな事を言うかというと、それは以下の岡田斗司夫切り抜き動画を見たからなのね。

この中で「アニメの製作委員会は『面白くなくてもいいから、分かりやすくしてくれ』と言う」と言われているのよ。
それを聞いて 2 通りの解釈ができて、さてはてどっちなのかなぁと思い至ったワケです。

1 つは「シーズン 1 は制作委員会の言う通り、分かりやすいバトルアニメにしたからつまらなかった」という解釈。
もう 1 つは「シーズン 1 は製作委員会に従わず、説明の少ないアニメにしたから俺は理解できず、結果俺が『怒りだす観客』になった」という解釈。

う~ん、さすがに 1 つめだよな !? とは言いたいのだけれど、自分では言い切ることもできないし。制作側のインタビューでもあれば、救われた気分になるのだけれど。
「シーズン 2 は、製作委員会の言う通り分かりやすく作りました」って言ってたら俺涙目だよね。
そうではないことを祈る!

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